ある晴れた日に、永遠が見える… 12

posted in: ある晴れた日に永遠が見える | 0 | 2013/7/25

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「カナ、すまなかった。」 コーヒーを前にジャヌが切り出した。
「何が?」
「僕が君を写真に撮らなければ…」
ジャヌはずっとこのことを言いたかったのだろう、先ほどまでとは違った苦渋の表情を浮かべている。

「違うわ。私が消さなかったから。黙ってメモリーカードを持ってきてしまったのも私だし。」
「カナ、君は自分を責めているだろう?でもそれは違うよ。
たとえ君とファビオとの間に何があったとしても、いや、何がなかったとしても、
このことに関して君はひとつも悪くはない。」
「ええ、わかってる。自分を責めてなんかいない。
ただ間が悪かっただけ。」

「本当に、そう思っている? それだけだと?」
それだけかと問われれば、それは違った。
ただこれ以上言葉にすることが今のカナにはできない。

「ジャヌ、私もう何も考えたくない。何も話したくない…」
「わかってるよ、カナ。そう言うんだ。
したいことをしたいと言って、したくないことはしたくないと言う。いいね。
僕には強がる必要も、取り繕うこともない。
それに、さっきも言ったように、僕は君がして欲しいと思うことはなんでもしてあげるから。」

「たとえポンテヴェッキオの上だろうと?」
「ああ、もちろんだよ。」

ジャヌの言葉にあるのは哀れみだった。
彼の心を満たしているのはいたわりと悲哀なのだ。
そしてもうひとつ、贖罪と…
それはカナが初めて見るジャヌだった。

いや、かつてこのような男を見たことはなかった。
寄り添おうとする意思だけが、あたたかくあふれ出ている。
この男は、信じられる。
この男は、私を傷つけることはない…

「本当に何でも?」
「そうだ、なんでも言ってみて。召使に、いや奴隷に言うように。」

カナは、宮殿住まいの貴婦人の格好の自分に、飲み物を運ぶ召使のジャヌを想像してみた。
それから、古代の王女として寝椅子に横たわる自分に、
腰に粗布を巻いただけのジャヌが、大きなうちわで風を送るところを。
するとなんだかおかしくなった。

「まったく似合わないわ。」
「そうかな?」
「召使も奴隷も、あなたにはまったく似合わない。でも…
想像すると面白いわ。」 

「よし、やってみよう。君は… 古代エジプトの王の娘。
わがままほうだいに育って、鼻持ちならない女になっている。この世は全て自分の意のままになると思って。
でも父王はそんな君が可愛くてたまらない。
君の望みを叶えるのに、おしみなく財力を使うことが喜びなんだ。」

「それで?」
「僕は君の身の回りの世話をしたり、遊び相手になるための奴隷だ。
それは幼いときから決められたこと。
さあ、何か言ってみて。」

いったい男の奴隷が王女の世話をするだろうかと思ったが、その疑問は無視することにした。
「ジャヌ、のどが渇いたわ。エスタテが飲みたい…」
「エスタテでございますか? しばしお待ちを。」 

ジャヌは冷蔵庫からペットボトルを取り出すと中身をグラスに注ぎ、それをカナの前に捧げ持ってきた。
「王女、エスタテでございます。」

「まあ、よくあったわね。」
「はい、王女がお好きなので、切らさないようにと先ほど買い占めてまいりました。
おそらく街にはもう一滴のエスタテも残っていないと思われます。」
「ふむ、なかなか気が廻るわね、おまえ。」
「では、ご褒美を…」

「そうね、なにがいいかしら?」
「私めにも、そのエスタテを…」
「いいわ、好きなだけお飲みなさい。」
「いえ、王女の口から、私めに…」

カナは驚いてジャヌを見た。
気軽な遊びのつもりだったのに…

ソファーに座るカナの足元に、ジャヌがひざまづいた。
にこやかな顔でカナを見上げる…

カナはエスタテを口に含み、ジャヌの顔の上にかがみこんだ。
するとジャヌの唇が待ち構えたように開く。
その喉の奥に、そっとエスタテを流し込んでいく。

「甘くて、良い匂いで…。でもあまりに量が少なくて味がよくわかりませぬ。できればもうひとくち…」
そうやってねだられて、カナは何度かジャヌにエスタテを口移しで飲ませた。
これではどちらが奴隷なのかわからない…

何度目かに唇が触れ合ったとき、流れ込むエスタテを飲み干したあとも、ジャヌはカナの唇を捕らえたままでいた。
からだは離れたままで、触れ合っているのは唇だけだ。
飲み物を飲み下すように、カナの唇が吸われる。
差し入れられた舌が口腔に残るエスタテを味わうように動き、カナの舌に絡みつく…

ジャヌの意図を、カナは測りかねた。しかし、したいように私はすればいいのだ…
カナはジャヌを突き放した。

「ジャヌ、なんと無礼な。誰がそこまでしていいと言いました!」
ジャヌはそのまま、床にひれ伏している。
「お許しください。あまりにエスタテが、いえ王女の唇が美味なゆえ…」
「ジャヌ、このようなことをしでかすとは… 罰は覚悟だろうね。」
カナを見上げたジャヌの瞳が、光った…

彼は黙ってシャツを脱ぎ、ズボンからベルトを引き抜いた。
そのベルトをうやうやしくカナに差し出したが、幅広で重そうなバックルがついているのを見ると、
これでは握りにくいと放り投げる。
「王女様のベルトをお貸しください。」
カナはジャヌの目に見入った。
そこにあるのは静かな決意だけだ。

カナはブラウスの上から止めていた、細い革のベルトをはずした。
ジャヌはそれを手に取ろうとせず、
カナの足元に片膝でひざまずき、背中を向ける。

「ジャヌ…」 
カナはベルトを持ったまま、ジャヌの裸の背中を見下ろした。
これであなたを打てというの?
でも… そんなことできない…

戯れの芝居が、別の意味をもつものに変容しようとしている。
ジャヌが同じように、痛みを感じてくれようとしてしている。
カナはその入り口で、立ち尽くした。

「さあ、王女。いつものように…」
ジャヌに促されるとなぜか体が自然に動いた。
カナはベルトを打ち下ろしてみた。
舞台の上の下手な役者の演技のようだった。

「そんな弱い力では少しも罰にはなりませぬ。もっと力いっぱい…」
カナは、もう一度ベルトを打ち下ろした。
今度は少し力を込めたので、カナの体のあちこちが、ひきつれたように痛んだ。
ジャヌの背に、赤い一筋の跡が走る。
「もっと!」
もう一度打った。
「もっと!」

促されるまま、カナは腕を振りおろした。
そのたびに自分の体にも痛みが走ったが、それはどこか甘美な痛みだった。
ジャヌの背に申し訳程度に赤い筋が何本か交差する。
もっと、とジャヌはけしかけたがすぐにカナは力尽き、ベルトを放り出すと、
うっすらと色づいたその筋に唇を這わせる。

カナの唇の動きにつれて、ジャヌの背に電流が走るのがわかった。
「ジャヌ、ズボンを脱いで!」 カナは命じた。
「下着もよ!」
ジャヌは立ち上がり、カナの命にひとことの言葉も発せずに従い、美しい裸身をあらわにした。

「ソファーに座りなさい!」
ベルトを打ち下ろすのにかなりの体力をつかったため、カナの体はほとんどまともに動かなかったが、
強張った体をなんとかジャヌに沿わせ、カナは迷わずジャヌ自身に指を這わせた。

「これが罰だと?」
「そうよ。」 ジャヌがカナの胸に触れようと手を伸ばしてきた。
「だめ。私に触れないで。」

カナはじっとジャヌに触れていた。
やっと自分の指が届いたのに満足して。
「カナ… 今夜はダメだよ…」
「そうじゃないの。ただこうしてあなたに触っていられるだけでいいの。」
「罰は?」
「今は無理。罰もご褒美も、なにもあげられないわ…」

今はただ、手におさまる彼自身を感じながら、ジャヌの肌に頬を寄せ、眠りたかった。
手にしているものが自分を傷つける冷たい凶器ではなく、
意のままになる暖かい生き物であるのを感じながら。
こうして眠れば、目覚めたとき全てはいやな夢だったと思えるような気がした。

「ベッドにいく?」
その言葉を聞くと、うとうととまどろみかけていたカナは、目を見開き、激しく首を振った。
「いや、あそこはいや。」
「じゃ、僕の部屋に行こうか?」
「だめ、あなたのとこも、だめ。」
「どうして?」 
カナの頭はぼんやりとして、うまく言葉が出て来ない。
なぜこれほど眠いのだろう。
食後飲んだのは精神安定剤だったはずだ。間違って睡眠薬をのんでしまったのだろうか…

ソファーでいいとカナはつぶやいたつもりだった。
だが言葉は唇まで届かずに喉の奥で消えてしまう。

ジャヌが何本か電話をかけるのを遠くに聞く。
彼の低い声が、なにかしゃべっている。
まどろみながらジャヌの声を聞き続けるのは、とても気持ちがよかった。

そうですか、ええ、おねがいします。
とりあえず3日ほど、ええ… 気に入ったらそのときはまた。
そうですね、すぐに… 今から行きます。

カナはふわりと抱きかかえられ、クルマに乗せられたようだった。
クルマが停まり、やはりジャヌに抱きかかえられて外に出ると、そこが丘の上だとカナにはわかった。
あまりに眠くて目を開けることはできなかったが、頬にあたる風でそれとわかったのだ。
空気にも、糸杉の匂いがまじっている。

建物の中に入り、階段を何段も何段も上っていくようだ。
ここにはエレベーターがないのだろうか…
重々しい扉の開く音がして、部屋に入ると、
カナはそっとベッドの上に下ろされた。

ジャヌの手が、カナのブラウスを脱がせていく。
ゆったりとウエストで結んだ、コットンパンツのひもをほどく。

ジャヌ、だめ… 私を見ないで…
眠りの底からカナは言葉を発した。

いいんだ、カナ。
だめ、見ないで…

目を開くことはできないカナだったけれど、ジャヌが息を呑んだのがわかった。
全身に記された赤い斑点、黒ずんだあざ、あちこちに走る傷…
それらをジャヌが見ている…

ジャヌ、だめよ。お願い、私を見ないで…
カナ、いいんだよ。 何も心配することはない。
すぐにこんなものは消えてなくなるんだから。

ジャヌはまじないのように、ひとつづつ傷やあざに唇を寄せ、そこに薬をぬりこめていく。
やさしいその指が全身に這うのを心地よく感じながら、
カナは深い眠りに落ちていった。

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