モロッコからは無事に帰国している。
帰国直後に風邪を引いたのと(治るのにまた三週間かかった)、
モロッコ旅行の二週間が「イスラム国(IS)」の人質事件と重なり、
旅をしながらほぼリアルタイムで経過を追っていたことと、
それが最悪の結末となってしまったことがあって、
ISについて書きたいことをとにかく書き終えないと、次に進めなかった。
やっと9割がた書き終えて、ふと我にかえってみると、
別れや新たな旅立ちの春になっていた。
先日、ダンス教室のインストラクター級の女性仲間が、
4月から辞めるかも、と言う。
聞けば結婚を考えているので、と。
そうか、まだそういう歳だったのか、ああ、いいなあ、と思った。
なんでいいなあと思ったかと言うと、
これが当の本人の話しだからだ。
この歳になると、同年代に新生活の話というのはなかなかに少なくて、
子供が独立して寂しくなったとか、
夫が定年で鬱々としていてうっとうしいとかの話が多いからだ。
そんな話よりもやはり聞いて嬉しいのは、
離れ、飛び立っていく若者の、解放感に満ちた明るい声だ。
それでも、同年代でも、年配でも、会うと話が弾む友人がいる。
電話で話し始めると、あっという間に時間がたってしまって驚く。
この人たちに共通しているのは、
自分の思ったこと、考えたことを、自分の言葉で語って尽きない、ということだ。
そこに思考のキャッチボールが始まるからだ。
互いに問いあい、答えあっているうちに、
話す前と話すあとで、何かが深まったり、
違う場所に着いていたりする
もう一つ共通しているのは、子供や夫の話が出ないこと。
親と子とか、夫と妻とかいう、属性としての関係性の中で、
この人たちは生きていない。
自分の話を、いつも新たに出発する若者のような声で語る人たちである。
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