Mensile 150821 色々あったこの5か月とDalからの離脱について

posted in: 月誌 | 0 | 2015/8/21

いつも後回しになるのがこちらで、
このたびもすっかり間が空いてしまった。
4月以降では母の死があり、そのモロモロの整理があり、
そして8月、酷暑のウズベキスタンへの旅があり、
さらにはDal0044からの離脱宣言があった。

あった、とヒトゴトのように書いているけれど、
かなり前から決めていたことで、いつ表明するか、というだけのことであった。
メンバーもそれは承知で、いつでも好きにしていいよ、ということでもあった。
実質私はもうずいぶん前からあそこにはいなかったのだ。

何故かと問われても、ひと言で答えることはできない。
敢えて答えれば、時を後戻しすることは出来ないから、というくらいか。
流れ、変わっていく時に抗うことは、誰にも出来ない。

発端となった頃からは10年がたっていて、
気が付けば私は、あの頃とは随分隔たった所にいる。
では何がこれほどの隔たりをもたらしたかというと、
最初から隔たっていたのだ、という答えが即座に自分の中から出てきて、
われながら苦笑している。

隔たりは内包されていたのだ、ということもできるし、
元来が隔たった位相を持ち込んでしまう異分子としてあったのだ、ともいえる。
振り返ればその自覚は最初から常にあって、
一瞬たりとも忘れたことはなかった。

隔たりを埋める作業が無かったわけではない。
でもこれは一方向的なベクトルでは成り立たないもので、
エネルギーも有限であり、歳と共に失われても行く。
とするならば、いつか来るこの日は、当然のごとく迎えるべき日なのであった。

実をいえばこの後にも、大きな転換が控えている。
こちらは転換そのものにかなりのエネルギーを要すること。
そういう年周りなのだろう。

転換は、日本という国も迎えている。
振り返るまでもなく、リアルタイムで、転換を感じている。
最近の日本の政治の特徴は、政治の言動が本音でなされるようになったところにある、
というようなことを誰かが言っていた。
けれども一番の本音である、日本は真の独立国なのか、は、
まだまだタブー感が強く、これを問うた参院の安保法制での山本太郎の質疑は、
マスコミにほとんど出てきていない。

安倍政権の中国脅威論と、日本の防衛と国際貢献の責務(プライド)とが、
感情に訴えかける論法で喧伝されている。
否も諾も、感情で反応している部分がある。
もともとが感情に訴えているので、その意味では仕方のない反応であるし、
いつだって人は感情で動いていくのだということもある。
(これはアメリカの大統領選挙の分析でも明らかにされている。
理念と政策論だけでは人は動かないのだ。)
大事なのは、感情だけに流されないことだろう。
感情を否定せず、同時に感情に理路や理論を肉付けていくこと。

学生たちの反安保法制を訴えるグループの動きが全国に広がっていて、
その話法と戦略に70年代との大きな違いを感じている。
ここにも転換がある。
彼らは、思考という骨に感情という肉を持ち得ている。
40年前とは全く違うバランスがある。

この後日本はどのように変わっていくのか。
目に見えるものとして出てきた「本音」が目指す方向が、
国民の過半数の望む方向ではないというねじれがまず大きくある。
国民が望まない方向に国家が突き進むのなら、
その国はもはや民主国家ではない。
国民は政権が提示してる「本音」に本気で向き合う必要があるけれど、
国家が転換を果たしたその時、そのような議論や提言は成り立つだろうか。
このことを政権の「本音」になびく人たちは、よく考えてみるべきだろう。
失われるのは、あなたたちの民主的なあり方でもあるのだから。

気が付いてみれば、テレビを随分長く見ていない。
もともとニュースとドキュメンタリーくらいしか見なかったのが、
それすら見る気がしなくなってしまった。
マスコミに対する不信は30年以上前からあるのだけれど、
最近は不信を通り越して、情報ソースとして時間を割く気になれなくなっている。

新聞は読むし、ネットで流れてくる複数の新聞記事も読む。
朝日や毎日や日経や、時には読売や産経だって読む。
琉球タイムズや沖縄新報が面白いこともあるし、東京新聞がすごかったりもする。
BBCやロイターやAFP通信やフィナンシャルタイムズは日本語記事を配信しているし、
中東の各国のメディアを訳して配信しているサイトもある。
ニューヨークタイムズやワシントンポストやドイツやフランスの記事を、
(勝手に)訳して紹介してくれる奇特な人もいる。
たまにはYoutubeで、国会審議の、一部ではなく、一人の人の質問の全てを視聴したりする。
フリージャーナリストの現場のレポートを読むときもある。
神保哲生と宮台真司のVideonews.comでは、日本や世界で起きている問題をさらに深く掘り下げた熟議討論を配信していて、興味があるときは視聴したりもする。

などとやっていたら、すっかりテレビニュースが不要になってしまったのだ。
それでも、ヒマだねえ、と言われるかもしれない。
でも、そんなに長時間を費やしているわけではない。
たまたま目についたのをあるだけの時間で拾い読みするのみである。
facebookはほんのわずかの友達なのに、フィードをチェックするのにけっこうな時間がかかるようになって、だんだん遠ざかってしまった。おのずと優先順位ができてくるのだ。

5か月のまとめ月誌を書くつもりが、まとまりのない近況報告になってしまった。
次の大きな転換作業に、またしばらくこちらに来れなくなってしまうかもしれない。
ダウンサイジングと言いながら、少しも空き時間が増えた気がしないのは、何故だろう。

 

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サマルカンド / ビビハニム・モスク

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