色・褪せない 番外編 ① マサイの恋人

posted in: 色・褪せない | 0 | 2010/12/1
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–番外編・異文化と愛と性

『マサイの恋人』 コリンヌ・ホフマン 平野卿子/訳 講談社(2002.9)

※気分転換にふと手にした『マサイの恋人』を引きずっている。
連載の趣旨とはちょっとずれるけれど、番外編としてご紹介。

 

◆恋は盲目

『マサイの恋人』は、スイス人である著者が、
マサイ族の戦士*ルケティンガと恋に落ち、結婚し、子供をもうけ、
4年を共に暮らした自伝的ノンフィクションで、
世界で300万部のベストセラーになったもの。

(*戦士とは、遊牧と、家畜保護のための猛獣狩り、
牛泥棒をしかける他部族との戦闘を担う者のことで、
マサイの男性は青年期の一時期をこの集団に属す。)

1987年、ケニアの海辺の町モンバサ。
恋人とバカンスを過すコリンヌは、フェリーの乗客の中でひときわ目を引く、
美しいマサイの若者を見かけ、 胸の高なりを覚える。
その後偶然再会し、 ディスコで一緒に踊る機会にも恵まれる。

帰国前日には、仲間うちのけんかで逮捕されてしまったルケティンガを探して、
恋人をほっぽらかしてあちこちの刑務所を訪ね歩き、
見つけ出し、保釈金を託す。
そして、スイスに向かう飛行機で、恋人に別れを切り出し、
すぐにケニアに戻る、二度とスイスには帰らない、と宣言する。

最初からアクセル全開のコリンヌなのである。
このあとも予想にたがわず、期待を裏切らないどころか上回るパワーで、
突っ走っていく。

まず、半年後にケニアを再訪。
モンバサに住むルケティンガの知人(マサイ族の女性)の家で、
彼と一夜をともにする。
スイスに一旦帰国、経営していたブティックを整理し、
幸せな暮らしを夢見て戻ってみれば……。

ルケティンガは消えていた。
彼は、ケニア南部とタンザニアにまたがる地域を拠点とするマサイ族ではなく、
北部のサンブル族の出身だった。
他のマサイたちと一緒にホテルのショーに出ていたのだが、
新参者でもあり、モンバサは彼にとって、
けっして居心地のいい場所ではなかった。

「白人女」との関係も、仲間から温かく見守られていたわけではない。
むしろ嫉妬や悪意に囲まれていたのかもしれない。
ショーにも誘われなくなる。
コリンヌがスイスからルケティンガに出した手紙は、
マサイ族が共有する私書箱に届くのだが、
この頃のものは一通も彼の手に渡らなかった。

広い範囲を遊牧で移動するマサイを探すのは、不可能に近い。
だが(もちろん)、それであきらめるコリンヌではない。
このあたりの冒険譚とその後の彼女の奮闘ぶりは、とても楽しめる。
御伽噺とは違って、試練を乗り越えて王子を見つけ出すのは姫のほうだけれど、
だからこそ一層、である。

だがモンバサで、ルケティンガは再びコリンヌの前から姿を消す。
彼はコリンヌを信じられないのだ。
他のマサイからも、「白人女」は男なしではいられない、
コリンヌにはほかにも男がいる、と悪意ある言葉を吹き込まれていた。

コリンヌは、今度は1400キロ離れたサンブル村まで、彼を追っていく。
そしてそのまま、母親と姪の少女も一緒の、一部屋だけの小屋で、
ルケティンガと暮らし始める。

誰もが抱く疑問は、白人とマサイ族が、
それぞれの文化や習慣の違いを乗り越えて、
果たして一緒に暮らしていくことができるのだろうか、というものだろう。

東アフリカでは最も経済が発達し、工業化も進んでいるケニアにあって、
マサイ族は例外的に、昔ながらの暮らしを守って生きている。
だが、少数派に属する伝統の守り手は、いつの世も、どこの世界でも、
近代化や西欧化(同じことだが)を進める多数派に冷遇され続ける。
サバンナを移動しながら生きてきた遊牧の民は、
土地を動物保護区や国立公園として奪われ、現金収入もなく、
それでも、定住化をできるかぎり拒否し、
自分たちの伝統や文化に高いプライドを持つ人たちなのだ。

小屋には電気も水道もない。
からだを洗うのは川、寝るのは土間に敷いた牛の皮の上、という暮らしだ。
だがコリンヌは、数々の困難にもひるまず、
ルケティンガと正式な届けをだして結婚し、 村で式もあげる。
また彼女は、サンブル村で初めてという車を買い、
これも初めてとなる食料品店を開くなど、精力的に、勇ましく活躍する。
過酷ではあるが、生きる手ごたえに満ちたときが流れる。

ただ、馴れない食事が問題だったのか
(マサイの伝統食は牛の乳と血、甘いお茶。
最近は穀物粉を練ったものも食べるようだが、 肉は特別のときだけ、
野菜はほとんど食べない)、
出産をはさんで、コリンヌはマラリヤや肝炎に襲われる。
住環境は多少改善されてはいくのだが、
マサイの暮らしのなかで病気を治療するのは無理だった。
妊娠中の体力維持も難しく、彼女は何度も病院に担ぎ込まれたり、
スイスでの療養を余儀なくされる。

だが、コリンヌにとって一番こたえたのは、
ルケティンガの彼女に対する不信、猜疑と嫉妬が、
次第に激しくなることだった。

村の食料品店をたたみ、モンバサで土産物店の経営に切り替えたのは、
因習的な人々の群れを離れ、「愛と信頼」に基づく夫婦生活を立て直すための、
コリンヌの最後の賭けだった。

が、この賭けはむしろ裏目に出る。
白人観光客の多い都会は、マサイのフィールドではなく、
コリンヌのフィールドだったからだ。
店の売り上げは伸びていったが、
二人を隔てる溝は、その幅を広げるばかりだった。

ルケティンガの嫉妬は常軌を逸したものになっていく。
娘を抱えた母として、コリンヌは、ついに彼を捨て、
ケニアからの遁走を決める。
妻は夫のサインがないと国外に出られない。
きっとまた戻ってくる、これまでのように、
娘をスイスの母に見せたらすぐに。
何度も交わした約束は、今度だけは、最初から守るつもりのない、
偽りのものだった。

 

◆恋人たちに言葉はいらない?

初めての夜、二人に交わす言葉はなかった。
文字通り、コミュニケーションツールとして、言葉がなかったのだ。
英語は、この頃はまだコリンヌも話せず、
ルケティンガも、わずかな単語を知っているのみ。
(彼は、ケニアのもう一つの公用語、スワヒリ語も話せなかった。)

最初の夜、横たわるコリンヌにルケティンガが身を寄せた。
と、いきなりの短い挿入。
唖然としているうちに、それが数回繰り返され、愛の行為は終わった。

翌朝、あまりの失望に、
コリンヌはマサイの女性にこの体験を問いただす。
答えは、それはマサイ族には普通のこと、
マサイはキスはしない、相手のセックスに触れることもない、
抱擁も愛撫もなし、というのもだった。
コリンヌはショックをうける。無理もない。
ルケティンガとの甘いキスと熱い抱擁を、夢見てきたのだから。

だが、その場に現れたルケティンガの耀くばかりの美しさに、
彼女は、少しずつ馴れていけばいいのだと、関係の継続を決める。

事実、歩みよりは成されたと思う。
ルケティンガは空港での別れのとき、
自分からキスしてくれて、コリンヌを感激させた。
また、その後の暮らしの中で、
彼女は、オーガズムを得るようになった、と記している。

問題のひとつは、このオーガズムかもしれない。
二人の隔たりが何故広がっていくばかりなのか、
それを埋めることが何故出来なかったのか、
その理由を考えていて思った。

コリンヌのオーガズムを、ルケティンガは、それは白人だけのものだろう、
マサイの女にはない、と断言する。
実際、彼が知っているマサイの女たちに、
オーガズムはなかったのだと思う。

アフリカには、男女ともに割礼を行う習慣がある。
マサイでは、女性に対しては結婚のときに行われる。
(さすがにコリンヌに強要は出来ない(当たり前だが本人は拒否)と思ったのか、
ルケティンガは、彼女は生まれてすぐに処置を受けていると、
周囲を欺いてくれた。)

最近は「女性器切除」と呼ばれる女子割礼の目的は、
男性の割礼が宗教的な慣習、大人になる通過儀礼、そして、
衛生的な意味合いにあるのとは異なり、
性の快楽と欲望を奪うことだと考えられている。
しかし何故、女性から快楽と欲望を奪う必要があるのか?

マサイの性意識やスタイルを見て推察できるのは、
セックスは、彼らにとって男女の愛を確かめあう行為でも、
男と女が共に歓びを分かちあう行為でもない、ということだ。
生殖のため、男が快楽を得るためのものではあっても、
女にそれを与えるものではない。

遊牧の男たちは家をあけることが多い。妻たちは子供と村に残る。
この場合、妻には欲望も快楽もないほうが、夫には安心だ。
つまり、「女性器切除」を定めた男たちは、
女性の貞節など信じてはいなかった。
と、つまりこういうことなのだろうか。

とにかく、コリンヌはマサイの女とは何もかも違う。
行動力の塊りであり、 西欧人の常として、男女の別なく親しく言葉を交わす。
そればかりか、オーガズムなどという、なんとも気持ちよさそうなものもある。
そんな「白人女」が、夫と離れているときに、
果たして男なしでいられるだろうか。
ルケティンガに、仲間から吹き込まれた言葉が甦るのも、
分かるような気がするのである。

しかし、コリンヌはそうは思わなかった。
なぜ彼は、これほど愛し、尽くしている私を信頼してくれないのか?
なぜわかってくれないのか?
と怒り、泣き喚き、諍いを繰り返す。
投げつける言葉は「ユー・アー・クレイジー」である。

確かに、コリンヌの目を通して描かれるルケティンガの嫉妬は狂的だ。
常識的な判断も欠けている。
が、その「常識」は、「愛と信頼」に基づく貞節や、
恋人同士に求められる快楽の共有などと同様の、
西欧社会の規範であり、価値観ではないのか。
そもそも「恋愛」なるものも、西欧の概念ではないのか。

彼女は、(たとえ結果はどうあれ)何の後悔もない、と記している。
それはそうだろう。
命をかけて愛し、たたかい、勝ち取ったものが確かにあった。
ではルケティンガはどうだったのだろう。

この疑問は、手に汗握るコリンヌの冒険の数々や、
彼女の一途な愛の達成感、それが崩れていく無念さよりも大きかった。
浮かび上がるのは、ルケティンガの、届かない、言葉にならない焦燥感や、
二人を隔てるものの前に、それを問う術もなく立ち竦むしかないような、
悲しみと憤りの姿だ。

この時期、コリンヌが育児ノイローゼ気味だったことは考えられる。
そのことは差し引いても、
彼女が一方的にルケティンガのもとに押しかけ、ひと言の相談もなく去ったこと、
つまり、関係の主導権を握っていたのは彼女だったことは、
忘れるわけにはいかない。

コリンヌは濃密な性をルケティンガに求め、彼はそれに応えた。
だが西欧的な性は、西欧的な一夫一婦制の「愛」、
「信頼」に基づく貞節と共にある。
行為を教えこめば、それを支えるルール(思想)も理解できるものと、
彼女は思っていたのか。
相手は、一夫多妻制を生きるマサイだというのに。

コリンヌは一度も、 自らの持つ恋愛感も、
夫婦という概念についても、疑うことがなかった。
それらは万国共通のものだと信じ込んでいた。
押し付けているという自覚さえない。
理解できないものを「クレイジー」と切って捨てた。

ディスコミニュケーションは、言葉の不足だけが原因ではない。
むしろ、言葉よりも大事なものがある。
異文化のなかで「愛」を育てるには特に、であろう。

そしてまた疑問が生じる。
いったいコリンヌは、ルケティンガの何を愛したのだろうか。

実は日本人女性にも、マサイと結婚した人がいるのだが、
長くなってしまうので、続きは次回……。

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