「誰が彼女を殺したか」橋本治 と 「香華」有吉佐和子

posted in: 読書NOTE | 0 | 2009/10/20

有吉佐和子にたどりついた経緯を少し述べると、最初はマイケル・ジャクソンだった。
友人が、彼について書いた私の作品を読んで、マイケルと同じように、「奇人」としてメディアからバッシングを受けたのが有吉佐和子であったこと、その彼女の死に対する、とても良い追悼文を橋本治が書いていることを教えてくれた。それが「誰が彼女を殺したか」だ。
(「恋愛論」講談社文庫所収–絶版だがBook Offなどで手に入る)

有吉佐和子については、私はほとんど何も知らなかった。いつ亡くなったのかも、彼女がそんなにバッシングされた人だったことも。
だから亡くなる(1984の8月30日)二ヶ月前の「『笑っていいとも』テレビジャック事件」なるものも、もちろん知らなかった。

この番組を見たという別の友人は、「ヒステリーっぽい、いやなおばさんと感じた」と言うが、有吉佐和子の翌日に出演した橋本治(その他池田満寿夫や筒井康隆ら)は、彼女の浮きあがりぶりが痛ましくて、見ていられなかったと述べている。本人は「番組をめちゃくちゃにしてやった、おもしろかったわ」と自慢(?)していたらしいが(関川夏央「女流–林芙美子と有吉佐和子」)。

橋本治は、「通常のコーナーを全部はずして、有吉佐和子だけで1時間通してやることを、事前に知っていた」。つまりあれは、彼女の言動に暴走はあったかもしれないが、本当はテレビジャックなどではなく、やらせだったのだ。だがマスコミは「奇行」として、彼女の訃報と同時に、このことを大きくとり上げた。

橋本治は「死んだその日の新聞記事というのは、かなりにずいぶんなものだった。追悼・尊敬というものよりも揶揄があった」
「率直に言って、『嫌われていたんだなァ…』ということ」がショックだった、と書いている。

「テレビジャック」に関しては、「有吉佐和子はお姫(ひい)様で、現代などと言う下世話なものは御存じない。スタッフはスタッフで有吉さんのことをこわがっているから手がつけられない。『それであんなことになってしまったんだなァ』と思った」と。

なぜ彼女が、「番組をめちゃくちゃにしてやった」のが「面白かった」のか、見ていないからわからないけれども、それは、溜飲を下げた、というようなものではないかと想像している。「香華」他彼女の作品を何冊か、それから「誰が彼女を殺したか」を読んでの想像である。それが見る人に、「ヒステリーっぽい、いやなおばさんと」感じさせたのだろう。

マイケル・ジャクソンと有吉佐和子は、死に至るまでのあれやこれやがよく似ている。早熟な天才として早い時期に成功し、ゆえに世の妬み嫉みにさらされてきたこと、亡くなった年齢も50歳と53歳だし、不眠症に悩み睡眠薬のような薬が手放せなかったことや、「奇人」としてメディアに嫌われたこと、その外観や装いでも非難されたこと、不当な報道や無理解、偏見、ひいては社会に対しての怒りを抱えていたこと、それを作品を通して訴えていたこと、など。

有吉佐和子は作品だけではなく、メディアや周囲にその怒りを直接ぶつけていたのが少し違うかもしれないが、二人がこれほど相似形を描くとは、並べてみてあらためて驚くほどだ。

(有吉佐和子の外観のなにが非難されたかというと、たとえば、「赤いドレスを着て歩いてた」と、『誰が彼女を殺したか』にある。橋本治は「へぇ、いつから現代は明治大正に逆戻りしたんですかねェ?」とあきれているが、これしきのこと、である。だが、逸脱の大小は、実は関係ない。どんな小さな差異であっても、人はそれを相手を揶揄嘲笑するための材料とするものなのだ)

しかし何より似ているのは、二人の生い立ちの特殊性だろう。
マイケルは黒人で、父親の野望(とそれに応えられる才能)のために、幼い頃から社会から隔離されて育ち、ブラックミュージックというだけでなく、ポップという「普遍的」な分野で、人種と国を超えたスーパースターの位置にまで登り詰めた。
一方有吉佐和子は、女で、ニューヨーク生まれ、ジャワで小学校時代を過ごした帰国子女で、しかも母の実家は和歌山の旧家。旧弊な社会・制度からはじき出される女の、悲しみと怒りとたくましさを描き、さらには、それまで男が書かなかった、社会に対する告発までを作品にした。

二人はマジョリティー(数の上ではない)に属しておらず、しかもその社会の中でも、一般的ではない育ち方をした。にもかかわらず、その社会(世界)の表舞台で活躍し(頂点を極め)、その社会(世界)の矛盾とひずみを訴え続けた。そのあり方は、世に出てからも、社会や世間の枠組みを大きく超えていた。そういう、突出した、「特殊な」人だった。

「香華」は、三つの賞を獲った。だがそのうちのふたつは読者賞である(第1回婦人公論読者賞、第10回小説新潮賞、第1回マドモアゼル読者賞)。彼女の文学賞の受賞歴は、1956年の『地唄』が文學界新人賞候補、芥川賞候補となり、華々しい文壇デビューを飾った作家にしては、おどろくほど少ない。『華岡青洲の妻』で第6回女流文学賞を取った以外は、ほとんどないと言ってもいい。いったい文学賞というのは何なのだろう、とあらためて思う。

私が読んだ「香華」の解説(新潮文庫 昭和40年)に、この作品は「家族制度の悲劇」を描いたものだとある。だがこれには、もう少し言葉を補わなければならない。即ちこの作品は、「家族制度」が未だぬぐいがたく残っている時代において(今も根っこは変っていない)、「家」(=男)というバックボーンを持たず、その「制度」からはじき出されてしまった女の、過酷な、けれどもたくましい生の軌跡なのだと。

主人公は和歌山の旧家に生まれた娘。物語は母との愛憎を縦糸に、それぞれの男との関係や、戦争をはさんでの時代背景を横糸に織られている。
母は古臭い制度やしきたりを超え、母性本能などという女の(作られた)属性さえも蹴散らかして生きる女だ。一度は女郎にまで身を落としながら、まるで屈託がない。娘は芸一本の芸者から出発し、旅館や割烹の女将として成功する。

この作品が発表された時代、おそらく多くの読者は、娘の、母に対する憎しみと、にもかかわらず捨てきれない執着(愛)と、それらを丸ごと抱えて生き抜く力強さに、感情移入したことだろう。
だが私は、この母の、あっけらかんとした在りようと、その母を許し、母と自分を陽のあたらない世界に押し込めた社会に対する娘の怒り、「この保守頑迷の国に生まれた自分が口惜しいばかりだった」に、共感する。

これが今から47年前(1962年単行本化)、有吉佐和子30歳そこそこの作品である。
 

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