テレビはあまり観ないんだけれど、めずらしく昨夜観たのが面白かった。
4人の女性作家がヨーロッパに取材旅行に出かけ、「料理と人間」をテーマに短編小説を書く。
その取材の様子を追ったのち、小説を原作にして作られたドラマを流す、というもの。
一回目は井上荒野のイタリア北部ピエモンテ州が舞台だった。
アグリツーリズモ、農園で古い製法でチーズを作る夫婦を訪ねる。
ふと、その妻が父親を語リはじめる。
教師として働くかたわら、化石売買をしていた変わり者で、
面白い話をたくさん聞かせてくれたけれど、父親としては失格だった。
作家も、私の父もそうだった、と共感し、そこからあらたな興味が生まれる。
母と離婚したその父は、30歳も年下の女性と再婚し、
山奥の廃屋だった農園を買い取り、修復して暮らしているという。
彼らを訪ねる作家。そこで、若い妻が作るミネストローネをふるまわれる。
その他にも、こだわりの創作料理をつくる注目のシェフ、
郷土の誇りトリュフや、赤ワイン、生産者や食にまつわる現場を作家は取材していく。
前半は、個性的な人々との対話と、
次々に出てくる美味しそうな食材や料理の紹介に、時間が割かれる。
このうちの誰が、どの料理が作品に取り上げられるのか、
どのように物語として”料理”されるのか、それを予想するのも楽しい。
出会った人々の似顔絵まで描かれた取材ノート。
取材の途中から、もう物語のかけらのようなものが生まれている、
というようなことを作家がつぶやく。
「それ、まだ秘密ですか?」 と、同行のディレクター(?)が問う。
「言わなくちゃダメかな?」 と答える作家。
場面が切り替わると、するりと、物語が始まっている。
台所で、若い妻がミネストローネを作っている。
野菜と豆に塩を加えただけのシンプルなもの。
普通のミネストローネと違うのは、最後にそれをブレンダーでポタージュ風に仕上げること。
食べるときにオリーブオイルをたらし、削ったチーズを振る。
それを庭のテーブルで、初老の夫と食べる。
彼女は、夫の最後の教え子の一人、
17-18歳の頃に、自分は人や社会と離れて暮らすのが好きだと気がついたの。
だからこの暮らしが好き。
これは取材で作家に語ったこと。
生で語られた言葉と、作家が掬い上げたセリフとを交じり合わせて、
私たちは物語を読む。
農園の仕事は結婚してから始めたけれど、今では一人でなんでもできる。
寂しいなんて感じたことはない。
それは夫がいなくても同じなの。
ああ、君はボクがいなくなっても大丈夫、
ここで一人で生きていけるよ。
俳優はイタリア人、舞台は農園そのまま(たぶん)。
だからセリフはイタリア語で、日本語字幕つき。
やがて夫は脳溢血で倒れて入院し、
半年も意識を取り戻さない状態となる。
病院に通いながら、農園の仕事を淡々と続ける妻。
私の体は、決まった時間に目が覚める。
夜明けとともに起き、畑でねぎを土から掘り出し、ロバの世話をし…
そんな日々、ふと立ち寄ったバールで若い男と出会う。
彼は臨時に雇われたバリスタで、しばらくしたらミラノに帰るという。
何の匂いだ?
匂い? ああ、これよ。
バックから、ミネストローネを入れた容器を出す。
病院にね、持っていくの。
彼女は夫がたとえ食べられなくても、
この匂いをかげば、意識が戻るのではないかと思っているのだ。
だが、夫には何の変化もなく、病院で鉢合わせた夫の娘からも、
彼が早く死ねばいいと思っているんでしょう! となじられる。
娘は彼女の同級生で、かつては友だちだったのに、
いや、友だちだったからこそ、父親の歳若い妻を受け入れられずにいるのだ。
夫との関係に未来はない。
彼女の孤独を理解する者も、励ましてくれる者もいない。
バールで、ワインのグラスを重ね、酔っ払ってしまう。
そんな彼女を、バリスタが農園まで送っていく。
大丈夫かい? 誰か家の人を呼ぼう。
誰もいやしないわ。一人で暮らしてるのよ。
一人で? こんな広いところに?
石造りの大きな館と農園に視線を走らせる。
ドアの前で、一瞬、彼女の中に逡巡が生まれる。
彼のなかにも、同じものが生まれている。
生まれたものは、確かに通い合ったかに見えた。けれども彼女は、
お休み、ありがとう… と、ドアを閉ざす。
別の日、バールで。
彼女が、ミネストローネの容器をバックから取り出す。
この前はありがとう。これ、あなたにあげるわ。
病院に持ってくんじゃないのかい?
いいのよ、もうお昼の時間もすぎちゃったし。
同じものを食べるということは、愛しあうということなんだ。
頷く作家。取材のなかでそう語ったのは誰だっただろう。
病院で、肩を覆ったショールを取り去り、黒いスリップドレス一枚となる彼女。
夫の髪にほほに、胸に、唇を寄せる。
降り注ぐキスも、愛撫も、返されることはない。
それをドアの隙間から夫の娘が覗いている。
その瞬間、彼女は友を、父の妻として受け入れる。
けれども妻のその行為は、夫を目覚めさせためではなく、
自分をなぐさめるためでもなく、
肉体としての夫に、別れを告げる行為に見える。
バリスタが農園を訪れる。
ミラノに帰るのだと。
夜明け、ベッドに彼を残して彼女は起きあがる。
私の体は、決まった時間に目が覚める。
そうして土のなかからねぎを引き抜く。
根から土を振り払う。
男はそんな彼女を眺めたあと、だまって農園をあとにする。
目覚め、食べ、眠る行為と同じように、
農園の仕事を彼女は続ける。
あなたは、私が一人で農園で生きていけるようにしてくれた。
それは私をここに縛り付けるためだったの?
土にまみれ、汗を流してロバのために杭を打つ。
けれども彼女の顔は、澄んだ明るさに耀いている。
答えは、聞くまでもない。
短編のタイトルは、『チーズと、塩と、豆と』。
どれくらいの時間をかけて作られたのかは知らないけれど、
贅沢な、味わい深い番組だった。
イタリアの農園も、食や土地へのこだわりに生きる人々も、皆魅力的だった。
特に、人里離れた農園に、歳の離れた夫との暮らしを選択した若い妻は、
作家に強烈なインスピレーションを与えたことが頷ける、本当に美しい人だった。
それは静かな、けれども凛とした、しっかりと自分の生を人生に根付かせた人の美しさだった。
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