ずっと映画を観ていなかったのに、
このところたてつづけに三本観た。
私にしたら「映画漬け」と言える頻度だ。
そのうち二本がダンスの映画。
好きだからの選択ではあるけれど、
上映じたいが重なるのも不思議なことである。
「フラメンコ フラメンコ」は、タイトル通りの、
これがフラメンコだ! という直球勝負の映画。
気づくのは、多彩さと斬新さである。
私の数少ないフラメンコ体験を、踊り手も演奏も、大きく押し広げていく。
だが、曲ごとに色合いの異なるフラメンコは、
次から次へと、ひたすら歌われ、踊られ、そこには何の説明もない。
本作でフラメンコを通して描かれるテーマは「生命の旅と光」。
生命の旅とは、“音楽に乗って人間の一生を巡る”ことである。
カルロス・サウラ監督は、人の誕生から晩年そして甦りまでを、
多彩なフラメンコのパロ(曲種)を用い、全21幕の構成で描き出す。
誕生<アンダルシアの素朴な子守唄>から始まり、
幼少期<アンダルシア、パキスタンの音楽とそれが融合した音楽>、
思春期<より成熟したパロ>、成人期<重厚なカンテ>、
死期<奥深く、純粋で清浄な感情>そして、
希望ある再生へとつなげ、命のよみがえりの期待を抱かせる。(公式サイトより ) http://www.flamenco-flamenco.com/
なるほど。
説明もない、とは書いたけれど、曲名や演者たちの名前、
振付師の名前はクレジットが出る。
歌詞の日本語字幕もあるわけだから、
上記の内容はある程度は読み取れるはずである。
しかし、フラメンコについて何も知らない私は、
ただただ踊りに目を奪われ、
ステップと手拍子、そして、テーブルや椅子の足板?を(やはり手だけで)たたいて
打ち出される複雑なリズムに圧倒され、ほとんど歌詞を追うことなく終わってしまった。
歌とギター、その他の演奏も素晴らしい、のだけれど、
久しぶりに浸るように見たフラメンコは、
網膜に残る肉体の鮮やかな動きと、
その動きに寄り添い、支配し、煽り、融けあうリズムで、記憶に刻まれた。
とはいえ、「人の誕生から晩年そして甦り」というテーマは、
歌詞に読むまでもなく感じられることでもあった。
たとえば、パコ・デ・ルシアをまんなかに、
両脇に控えた歌手と手拍子隊?の若者たちとの共演。
若者たちの表情から、彼らが、
円熟のギタリストと一緒に演奏できることをどれほど誇らしく、
どれほど嬉しく感じているかが、暖かく伝わってくるのだ。
それはまさに、パコから彼らへと、「フラメンコ」が伝わっていく瞬間でもあった。
成長し、成熟し、衰えの予感が訪れたとき、
もしそこに、この、若者たちの憧れに満ちた耀く眼差しがあるならば、
きっと私たちは心安らかでいられるだろう。
ラストシーンの一曲は、テーマを凝縮したようなフラメンコだった。
腰が少しまがり、お腹周りはどっしりとまるみを帯びた、
およそダンサーとは言い難い体型の踊り手が、
おそらくはヒターノの昔ながらの衣装、
といってもそれはタブラオなどで見かける舞台衣装ではなく、
普段着よりはちょっとおしゃれな花柄のワンピースに、
派手な色のスカーフを羽織った姿で踊り出す。
ギターを弾いていたグレーの髪の男性も、そのギターを後ろの若者に渡して、踊り出す。
彼らと入れ替わりに、紫のボディコンシャスなワンピースを着た若い娘が踊る。
扇形に集まった一団は、親族なのか、それとも村の仲間なのか…。
この、老いと若きの交歓のエンディングフラメンコも、きっと私は忘れないだろう。
監督・脚本/カルロス・サウラ 撮影監督/ヴィットリオ・ストラーロ
P.S. 1
忘れられない映画のひとつに、
アントニオ・ガデス主演によるサウラ監督の「カルメン」がある。
もう20年も前の作品だ。
その少し前に観た、ガデスの舞台の「カルメン」も素晴らしかった。
私のフラメンコ体験は、考えてみたら20年ぶりなのだった。
P.S. 2
映画のチラシに、スペインの次にフラメンコ人口が多いのが日本、とあってびっくり。
フラメンコの旋律や哀感にシンパシーを感じるのは頷ける。
でもあのリズム、それから、感情を溜めて溜めて、
一気に吐き出してぶつけていく苛烈さは、
私たちの(身体)表現からはとても遠い。
惹かれるのは、その遠さゆえ、なのだろうか。
あるいは、溜めて溜めているのに、それをうやむやに流していく文化に対する、
一つの「ノー」なのだろうか。
P.S. 3
内容にも詳しく触れている映画評二つ
・カルロス・サウラ監督が魅了する新たなフラメンコの世界『フラメンコ・フラメンコ』
(FIGARO・jP)
・FILM REVIEW 『フラメンコ・フラメンコ』 OUTSIDE IN TOKYO
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