ダンシング・イン・ザ・クローゼット<5>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

   <5>

 

マイクルのあの裁判ほど、マスコミが大騒ぎした事件はなかった。
やつらはみんな、彼は有罪だと「確信」してた。
おまけに、無罪になったあとも、
自分たちの記事が偏っていたことを、認めようとはしなかった。
だからずっとマイクルは、マスコミによって、
「疑惑」のなかに置かれたままだ。

もういちど、彼の無罪に、人々の目を向けたい。
マイクルの死後、そのことばかりを、私は考え続けた。

S紙の記者が私にマイクルのことを重ねて考えるように、
私の裁判の行方に、マイクルの事件を重ねる人たちは多いはずだ。
与えられたチャンスを、なんとか活かしたかった。
けれどそんな私の思いは、ケイトにも、誰にも明かすわけにはいかない。

「問題は、この"契約書"だ」 
弁護士のフィルが、紙ナプキンを眺めながら言った。
「丸めて捨てられたものを、何故ナオミは入手できたのか」
「だけど、記者が約束して、それを守るつもりがなかったのは、
確かなんだから」
「では君は、何故記者がこれを丸めるのを見過ごしたのか。
これが必要な"契約書"、
あるいは"契約書"の下書きであるなら、何故しっかりと保管しておかず、
ウェートレスに片付けさせたのか」

「それは……、話に夢中になって……」
「で?」
「ウェートレスがあとから、これ、もしかして大事なメモじゃないですかって」

腕組みをしたまま黙っていたケイトが、口を開いた。
「記者会見ではメモとしか言わずに質問をかわしたけど、
裁判では突かれるわよ」
「だけど、なぐり書きだろうとなんだろうと、サインはサインだし……」

「君がなんらかの意図を持っていて、敢えて、
そのサイン入りナプキンが、ゴミのように扱われるのを黙殺したのだということも、
浮かび上がるかもしれない」
「とんでもない、そんなつもりじゃなかった。
それに、どこにそんな証拠がある?」

強がりはしたが、ウェートレスが最後まで口裏を合わせてくれるかどうか、
100%の自信はない。
彼女は、友人や恋人に、ナオミから限定発売のフレグランスをもらったと、
すでに漏らしているかもしれない。
それを、親しいウェートレスに対する、
きまぐれなナオミの意味のないプレゼントだと、
どれだけの人が思ってくれるだろう。

「この記事についてはどうなの」 ケイトがS紙を取り出した。
「酷いとこもあるけど、まともな事も言ってるんじゃない?」
ケイトは肩をすくめ、フィルは黙ってあごをなで始めた。
どう言おうか迷っているのだ。
法廷では鉄のポーカーフェイスで通すフィルも、
一旦気を許した相手には、わかりやすいクセを連発する。

「まあ、いずれにしても」 大きな手はあごの下で固い拳になった。
「裁判で争われるのは、過程はどうあれ、
結果としてなされた記者の"契約"の不履行と、
君のセクシュアルオリエンテーションについての名誉毀損だけだ。
他人の名誉を、君が法廷で回復させることは出来ないよ」

フィルもケイトも、私の本心に気付いていた。
「弱いよ」 フィルが言った。
「どういうことよ」
「この程度の内容じゃ、裁判で君が望むほどの結果を引き出すのは難しい」

「勝てる見込みは高いんでしょ?」
「あくまで、"契約書"が正式なものと認められれば、だ。
だが、僕は気が進まないね。
君が隠れた意図のために裁判を利用するのに、加担する気になれないんだ」

私はフィルをにらみつけた。
D紙にたいする訴訟で勝利を勝ち取った辣腕弁護士は、
法廷がばかげた意地のために利用されるのを嫌う、頑固じじいでもある。
でも弁護士は彼だけじゃない。
「あきらめなさい」 
ケイトは言ったが、私は視線をS紙に移したまま、返事をしなかった。

結局、弁護士を変えるという私の意見はケイトを説得できず、
逆にフィルはしぶしぶ訴訟の提起を承諾し、告訴状は提出された。

V誌の弁護士からは示談交渉の申し入れがあった。
ケイトが止めるのも聞かず、私は即座に拒否の電話を入れた。
それをかぎつけたのか、テレビのバラエティー番組から出演依頼が来たが、
迷った末に断った。雑誌や新聞のインタビューも全てペンディングにする。
方針が定まらないうちに、うかつなことは言えない。
単独インタビューがいいのか、合同記者会見がいいのか、
最も有効な方法とタイミングを、自分で設定したかった。

裁判所からの和解勧告も拒絶すると、やがて裁判日程の通知が届いた。
かなりタイトなスケジュールだった。調整を申し立てたが、V誌は抵抗した。
そんなとき、ある雑誌から、
こちらが録音したインタビューの全文を掲載したいと、打診があった。
ケイトとフィルはこれを材料に、示談交渉に戻ることを検討し始めた。

「和解はしない」
「あんたイタリアの裁判にも出なきゃいけないのよ。被告として。
いったいどうやったら、仕事のオファーを全部受けて、
イタリアとイギリスでたて続けに開かれる裁判に、出られるって言うの」
反論は、出来なかった。

「あのカメラマンも、和解はしないって。そりゃそうよね、
いつもは追っかけてる獲物が、
向こうからしずしずやってきてくれるんだから。
それに、もし実刑判決が下りたら、どうすんの」

最大の問題は、仕事だった。
チャリティー以外では舞台に立たないと宣言したのは、
実際仕事が減ってたからだ。
ジリ貧でつまらない仕事を続けるより、
鮮やかな引き際を見せて引退しようと思った。
でも根っからショーが好きな私は、直後に入った依頼を断れず、
引退宣言は撤回されたような格好になり、
その後この事件で注目されたためか、
仕事の依頼が増えていた。
取材を断るのは平気だけど、仕事を断るのは平気じゃない。

フィルはフィルで、イタリアの裁判では、
たとえ傷害に対する罪は問われても、
法廷で、パパラッチの行き過ぎた追っかけに対する批判を展開できる、
これもゴシップを求めるマスコミへのひとつの告発になり得ると、考えていた。

マイクルの死からもう三ヶ月がたつのに、
キオスクのスタンドから、まだ彼の名前は消えない。
子供たちのことや、ファミリーの動向や、
生前のマイクルの"隠された素顔"や、秘密の"恋人"や。
他にゴシップネタがないときの、
「困ったときはマイクル」という法則は、相変わらずだ。
それどころか、本屋の特設コーナーには、
雑誌の特集記事や関連本が平積みになっている。
だが、一番売れているのは暴露本だ。

あるとき本屋で、一冊の暴露本を手に取った。
彼が93年に告訴されたときのことが書かれていた。
性的虐待に関する少年の「証言」や、
マイクルが実際に虐待するのを見たという元従業員の「証言」は、
露悪的で、しかも時間の経過とともにエスカレートしていった。

警察の家宅捜査や、
証拠物件として彼の性器が撮影された箇所を目にしたとき、
私はあまりの怒りに、その場にしゃがみこんでしまった。
吐き気を抑えるのに必死だったので、その本を引き裂かないで済んだ。
そうでなければ、引き裂いて破り捨て、ひと悶着起こしていただろう。

写真集の、いつも私を魅了したステージの上の彼は、
そんな地獄を味わった人のようには見えなかった。
事件が和解で解決したあとの、マスコミに対する怒りや、
当事の検事に対する抗議を込めた歌の激しさが、
あらためて胸を突いた。
涙でにじんだ彼の姿を正視できず、私は雑誌も写真集も買えなかった。

だが、自分の裁判をどうするのか、
これ以上決定を先延ばしには出来ない。
迷いながら、私はオフィスで、ケイトが買ってくれていた、
マイクルの死後早い時期に出た何冊かの雑誌を、ようやくめくってみた。

特集記事はどれも、彼の生い立ちと、成功と"転落"の軌跡を追うものだった。
ローリングストーン誌は増刊号を、
これまでのマイクルへのインタビューで埋めていた。

『いいミュージシャンがなぜ転落していくのかに、僕はいつも興味があるんだ。
その原因を常に知りたいんだ。
だって同じ理由で、人が何度も何度も落ちていくなんて信じられないからね』
これは1983年2月号に掲載された記事のなかで、マイクルが語った言葉だ。
その場にいたダンサーは、コカインを吸うしぐさで答える。

このフレーズを読むものは、後の彼の"転落"と、
薬の過剰投与による死を重ねて、
人生とは皮肉なものだと思うだろう。
長いインタビューの、ほんの断片を切り取ったフレーズが、
勝手に別のイメージを語り出す。

このときマイクルは24歳、歌手として10年以上のキャリアを持ち、
パフォーマーとしても、ソングライターとしても、栄光の頂点を迎えていた。
ひたすら走り続けてきたマイクルが、
自分の後ろに消えてしまった、もう引き返すことの出来ない道を、
振り返ってみたのはいつのことだろう。
失われてしまったのは、その後スピーチや歌で、繰り返し語ることになる、
子供時代だ。

マイクルは、遊園地や動物園もある邸宅、「ネバーランド」を建設する。
そこにたくさんの子供たちを招いて、
彼らと一緒に「失われた子供時代」を取り戻そうとする。

それは自分のためだけじゃなかった。
恵まれない境遇の子供たちや、
病気の子供たちに「ネバーランド」を解放したのは、
彼らに、自分のように、子供時代を失ってほしくなかったのだ。
経済的にも援助の手を差し伸べた。
そのことが、マイクルの"転落"を招いた。

だから本当のところ、彼は"転落"なんかしてやしない。
それはもうすぐ、明らかになるはずだった。
彼はたくさんの曲を作り、トレーニングし、ステージの準備をしていた。
長いインターバルから戻り、また表舞台に立とうとしていたんだ。

ひとつ、心に鋭く突き刺さる記事があった。
ニューズウィークの辛らつなペンは、マイクルにも向けられたけど、
同時に私たちにも向けられていた。

『全米のラジオ局が、40年分のマイクルのヒット曲を次から次へと流している。
あれから、彼のアルバムはアメリカで最も売れている。
インターネットでは彼の局が280万回もダウンロードされた。
過去5年間で、週に100万回以上ダウンロードされたアーティストはいない。
私たちは知った。マイクルが再び、人々の心を一つにしたことを。
共に同じ時代を生きた最も偉大な天才を、本当に失ったことを。
マイクルの死を悼む人々からは、
彼を天使のような、虫も殺せない人間とあがめる声も聞こえてくる。
そう言いたくなる気持ちは分る。その絶頂期には神のように崇拝したマイクルを、
私たちはその後、一転して非難し、批判し、軽蔑してきたからだ。
私たちの悲しみの少なくとも一部は、そんな罪悪感からきている』 (7.22号)

この記事のなかで、特にやりきれなかったのは、
『彼が若い頃に浴した絶大な人気と敬意、そして感謝を取り戻すには、
死ぬしかなった』
という一行だ。

ばかやろう! 
私は雑誌を壁にたたきつけた。 

ばかやろう……、 
罵りは、自分に返ってきた。
これは残酷な真実だ。

マイクルを死に追いやった犯人は、一部の差別主義者だけじゃない。
恥知らずのハイエナメディアだけじゃない。
偏見に凝り固まった検事だけじゃない。
金のために平気で人を陥れる人間のクズだけでもない。
彼を死に追いやったのは、まぎれもない私たちなんだ。

彼が心の拠り所にしたものを奪ったのは私たちだ。
理解を求めて苦悩する叫びを無視したのは、私たちだ。
彼の死は、そんな私たちに対する、告発なんだ。

彼が突然電話をかけてきて、MVに出てくれないかと告げ、
次に言った言葉が、ずっと私を苦しめている。
最初のときは、OK、やってみる、と答えることができた。

だけと何年か後、同じ言葉を留守電のメッセージで聞いたとき、
私はそれに答えなかった。
いつもはすぐに、折り返し電話していたのに。
一度だけ、そのときだけ、忙しさを言い訳に返事をあと回しにして、
やがてタイミングは失われてしまった。
私が知っていた電話番号は、そのあと通じなくなった。

彼がアメリカを去り、
移り住んだ中東からまた電話をかけてくれるようになったとき、
以前より幾分か沈んだ声を聞くたびに、
私はあのときの後ろめたさを、思い出した。

マイクルがいなくなったと知ったとき、私の耳にあの声が甦った。
それが張り付いて消えない。
彼は静かに、言った。
「I need your help」と。

 

 

※完全日本語字幕付をさがしたのですが、みつかりませんでした。
以下に全文の訳を掲載しておきます。
詩の朗読部分は、動画の訳と若干異なりますが、
個人的にはYouに神のニュアンスを含めた下記の訳の方がしっくりしています。

◆歌詞の訳 ◆詩の朗読部分の訳
抱きしめてください
ヨルダン川のように
そうすれば、あなたは僕の友

連れて行ってください
兄のように
愛してください、母のように
あなたはそこにいてくれるのでしょう?

疲れてしまったとき
抱きしめてくれますか
道を誤ったとき、引き戻してくれますか
迷子になったとき、見つけてくれますか

彼らは、僕に言うのです
男は誠実であるべきだと
辛いときこそ、歩くんだと
そして最後まで闘えと
でも僕はただの人間

誰もが僕を操ろうとする
世界が
僕に役割を与えているかのように

とても混乱しています
だから、指し示してくれますか
あなたがそこにいて
僕を導いてくれると

抱きしめてください
低く頭を垂れ
やさしく、そして力強く
僕をそこに、連れて行ってください

導いてください
僕を愛し、信じて
口付けで、自由にしてください
そうすれば僕は、神の恵みを知るでしょう

連れて行って
一気に、ゆっくりと高く
僕をそこへ連れて行ってください

僕を救ってください
癒し、清めてください
優しく告げてください
私はそこにいると

僕を抱き上げてください
ゆっくりと
力強く
あなたの前に

抱きしめてください
低く頭を垂れ
やさしく、そして力強く
僕をそこに連れて行ってください

僕を必要としてください
僕を愛し、信じて
口付けで、僕を自由にしてください
そうすれば僕は、神の恵みを知るでしょう

暗い闇にあっても
深い絶望のときも
僕のことを気にかけてくれますか?
変らず、そこにいてくれますか?

試練のときも
苦難のときも
疑いにさられていても
挫折のときも

暴力に襲われているときも
動乱の中でも
恐怖に打ちひしがれているときも

懺悔のときも
苦悩や苦痛のさなかでも
喜びと悲しみにあっても……

明日に希望を持っているとき
僕は決してあなたのそばを離れません
あなたはいつも、僕の心の中にいるから

 

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