この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。
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マイクルのあの裁判ほど、マスコミが大騒ぎした事件はなかった。
やつらはみんな、彼は有罪だと「確信」してた。
おまけに、無罪になったあとも、
自分たちの記事が偏っていたことを、認めようとはしなかった。
だからずっとマイクルは、マスコミによって、
「疑惑」のなかに置かれたままだ。
もういちど、彼の無罪に、人々の目を向けたい。
マイクルの死後、そのことばかりを、私は考え続けた。
S紙の記者が私にマイクルのことを重ねて考えるように、
私の裁判の行方に、マイクルの事件を重ねる人たちは多いはずだ。
与えられたチャンスを、なんとか活かしたかった。
けれどそんな私の思いは、ケイトにも、誰にも明かすわけにはいかない。
「問題は、この"契約書"だ」
弁護士のフィルが、紙ナプキンを眺めながら言った。
「丸めて捨てられたものを、何故ナオミは入手できたのか」
「だけど、記者が約束して、それを守るつもりがなかったのは、
確かなんだから」
「では君は、何故記者がこれを丸めるのを見過ごしたのか。
これが必要な"契約書"、
あるいは"契約書"の下書きであるなら、何故しっかりと保管しておかず、
ウェートレスに片付けさせたのか」
「それは……、話に夢中になって……」
「で?」
「ウェートレスがあとから、これ、もしかして大事なメモじゃないですかって」
腕組みをしたまま黙っていたケイトが、口を開いた。
「記者会見ではメモとしか言わずに質問をかわしたけど、
裁判では突かれるわよ」
「だけど、なぐり書きだろうとなんだろうと、サインはサインだし……」
「君がなんらかの意図を持っていて、敢えて、
そのサイン入りナプキンが、ゴミのように扱われるのを黙殺したのだということも、
浮かび上がるかもしれない」
「とんでもない、そんなつもりじゃなかった。
それに、どこにそんな証拠がある?」
強がりはしたが、ウェートレスが最後まで口裏を合わせてくれるかどうか、
100%の自信はない。
彼女は、友人や恋人に、ナオミから限定発売のフレグランスをもらったと、
すでに漏らしているかもしれない。
それを、親しいウェートレスに対する、
きまぐれなナオミの意味のないプレゼントだと、
どれだけの人が思ってくれるだろう。
「この記事についてはどうなの」 ケイトがS紙を取り出した。
「酷いとこもあるけど、まともな事も言ってるんじゃない?」
ケイトは肩をすくめ、フィルは黙ってあごをなで始めた。
どう言おうか迷っているのだ。
法廷では鉄のポーカーフェイスで通すフィルも、
一旦気を許した相手には、わかりやすいクセを連発する。
「まあ、いずれにしても」 大きな手はあごの下で固い拳になった。
「裁判で争われるのは、過程はどうあれ、
結果としてなされた記者の"契約"の不履行と、
君のセクシュアルオリエンテーションについての名誉毀損だけだ。
他人の名誉を、君が法廷で回復させることは出来ないよ」
フィルもケイトも、私の本心に気付いていた。
「弱いよ」 フィルが言った。
「どういうことよ」
「この程度の内容じゃ、裁判で君が望むほどの結果を引き出すのは難しい」
「勝てる見込みは高いんでしょ?」
「あくまで、"契約書"が正式なものと認められれば、だ。
だが、僕は気が進まないね。
君が隠れた意図のために裁判を利用するのに、加担する気になれないんだ」
私はフィルをにらみつけた。
D紙にたいする訴訟で勝利を勝ち取った辣腕弁護士は、
法廷がばかげた意地のために利用されるのを嫌う、頑固じじいでもある。
でも弁護士は彼だけじゃない。
「あきらめなさい」
ケイトは言ったが、私は視線をS紙に移したまま、返事をしなかった。
結局、弁護士を変えるという私の意見はケイトを説得できず、
逆にフィルはしぶしぶ訴訟の提起を承諾し、告訴状は提出された。
V誌の弁護士からは示談交渉の申し入れがあった。
ケイトが止めるのも聞かず、私は即座に拒否の電話を入れた。
それをかぎつけたのか、テレビのバラエティー番組から出演依頼が来たが、
迷った末に断った。雑誌や新聞のインタビューも全てペンディングにする。
方針が定まらないうちに、うかつなことは言えない。
単独インタビューがいいのか、合同記者会見がいいのか、
最も有効な方法とタイミングを、自分で設定したかった。
裁判所からの和解勧告も拒絶すると、やがて裁判日程の通知が届いた。
かなりタイトなスケジュールだった。調整を申し立てたが、V誌は抵抗した。
そんなとき、ある雑誌から、
こちらが録音したインタビューの全文を掲載したいと、打診があった。
ケイトとフィルはこれを材料に、示談交渉に戻ることを検討し始めた。
「和解はしない」
「あんたイタリアの裁判にも出なきゃいけないのよ。被告として。
いったいどうやったら、仕事のオファーを全部受けて、
イタリアとイギリスでたて続けに開かれる裁判に、出られるって言うの」
反論は、出来なかった。
「あのカメラマンも、和解はしないって。そりゃそうよね、
いつもは追っかけてる獲物が、
向こうからしずしずやってきてくれるんだから。
それに、もし実刑判決が下りたら、どうすんの」
最大の問題は、仕事だった。
チャリティー以外では舞台に立たないと宣言したのは、
実際仕事が減ってたからだ。
ジリ貧でつまらない仕事を続けるより、
鮮やかな引き際を見せて引退しようと思った。
でも根っからショーが好きな私は、直後に入った依頼を断れず、
引退宣言は撤回されたような格好になり、
その後この事件で注目されたためか、
仕事の依頼が増えていた。
取材を断るのは平気だけど、仕事を断るのは平気じゃない。
フィルはフィルで、イタリアの裁判では、
たとえ傷害に対する罪は問われても、
法廷で、パパラッチの行き過ぎた追っかけに対する批判を展開できる、
これもゴシップを求めるマスコミへのひとつの告発になり得ると、考えていた。
マイクルの死からもう三ヶ月がたつのに、
キオスクのスタンドから、まだ彼の名前は消えない。
子供たちのことや、ファミリーの動向や、
生前のマイクルの"隠された素顔"や、秘密の"恋人"や。
他にゴシップネタがないときの、
「困ったときはマイクル」という法則は、相変わらずだ。
それどころか、本屋の特設コーナーには、
雑誌の特集記事や関連本が平積みになっている。
だが、一番売れているのは暴露本だ。
あるとき本屋で、一冊の暴露本を手に取った。
彼が93年に告訴されたときのことが書かれていた。
性的虐待に関する少年の「証言」や、
マイクルが実際に虐待するのを見たという元従業員の「証言」は、
露悪的で、しかも時間の経過とともにエスカレートしていった。
警察の家宅捜査や、
証拠物件として彼の性器が撮影された箇所を目にしたとき、
私はあまりの怒りに、その場にしゃがみこんでしまった。
吐き気を抑えるのに必死だったので、その本を引き裂かないで済んだ。
そうでなければ、引き裂いて破り捨て、ひと悶着起こしていただろう。
写真集の、いつも私を魅了したステージの上の彼は、
そんな地獄を味わった人のようには見えなかった。
事件が和解で解決したあとの、マスコミに対する怒りや、
当事の検事に対する抗議を込めた歌の激しさが、
あらためて胸を突いた。
涙でにじんだ彼の姿を正視できず、私は雑誌も写真集も買えなかった。
だが、自分の裁判をどうするのか、
これ以上決定を先延ばしには出来ない。
迷いながら、私はオフィスで、ケイトが買ってくれていた、
マイクルの死後早い時期に出た何冊かの雑誌を、ようやくめくってみた。
特集記事はどれも、彼の生い立ちと、成功と"転落"の軌跡を追うものだった。
ローリングストーン誌は増刊号を、
これまでのマイクルへのインタビューで埋めていた。
『いいミュージシャンがなぜ転落していくのかに、僕はいつも興味があるんだ。
その原因を常に知りたいんだ。
だって同じ理由で、人が何度も何度も落ちていくなんて信じられないからね』
これは1983年2月号に掲載された記事のなかで、マイクルが語った言葉だ。
その場にいたダンサーは、コカインを吸うしぐさで答える。
このフレーズを読むものは、後の彼の"転落"と、
薬の過剰投与による死を重ねて、
人生とは皮肉なものだと思うだろう。
長いインタビューの、ほんの断片を切り取ったフレーズが、
勝手に別のイメージを語り出す。
このときマイクルは24歳、歌手として10年以上のキャリアを持ち、
パフォーマーとしても、ソングライターとしても、栄光の頂点を迎えていた。
ひたすら走り続けてきたマイクルが、
自分の後ろに消えてしまった、もう引き返すことの出来ない道を、
振り返ってみたのはいつのことだろう。
失われてしまったのは、その後スピーチや歌で、繰り返し語ることになる、
子供時代だ。
マイクルは、遊園地や動物園もある邸宅、「ネバーランド」を建設する。
そこにたくさんの子供たちを招いて、
彼らと一緒に「失われた子供時代」を取り戻そうとする。
それは自分のためだけじゃなかった。
恵まれない境遇の子供たちや、
病気の子供たちに「ネバーランド」を解放したのは、
彼らに、自分のように、子供時代を失ってほしくなかったのだ。
経済的にも援助の手を差し伸べた。
そのことが、マイクルの"転落"を招いた。
だから本当のところ、彼は"転落"なんかしてやしない。
それはもうすぐ、明らかになるはずだった。
彼はたくさんの曲を作り、トレーニングし、ステージの準備をしていた。
長いインターバルから戻り、また表舞台に立とうとしていたんだ。
ひとつ、心に鋭く突き刺さる記事があった。
ニューズウィークの辛らつなペンは、マイクルにも向けられたけど、
同時に私たちにも向けられていた。
『全米のラジオ局が、40年分のマイクルのヒット曲を次から次へと流している。
あれから、彼のアルバムはアメリカで最も売れている。
インターネットでは彼の局が280万回もダウンロードされた。
過去5年間で、週に100万回以上ダウンロードされたアーティストはいない。
私たちは知った。マイクルが再び、人々の心を一つにしたことを。
共に同じ時代を生きた最も偉大な天才を、本当に失ったことを。
マイクルの死を悼む人々からは、
彼を天使のような、虫も殺せない人間とあがめる声も聞こえてくる。
そう言いたくなる気持ちは分る。その絶頂期には神のように崇拝したマイクルを、
私たちはその後、一転して非難し、批判し、軽蔑してきたからだ。
私たちの悲しみの少なくとも一部は、そんな罪悪感からきている』 (7.22号)
この記事のなかで、特にやりきれなかったのは、
『彼が若い頃に浴した絶大な人気と敬意、そして感謝を取り戻すには、
死ぬしかなった』
という一行だ。
ばかやろう!
私は雑誌を壁にたたきつけた。
ばかやろう……、
罵りは、自分に返ってきた。
これは残酷な真実だ。
マイクルを死に追いやった犯人は、一部の差別主義者だけじゃない。
恥知らずのハイエナメディアだけじゃない。
偏見に凝り固まった検事だけじゃない。
金のために平気で人を陥れる人間のクズだけでもない。
彼を死に追いやったのは、まぎれもない私たちなんだ。
彼が心の拠り所にしたものを奪ったのは私たちだ。
理解を求めて苦悩する叫びを無視したのは、私たちだ。
彼の死は、そんな私たちに対する、告発なんだ。
彼が突然電話をかけてきて、MVに出てくれないかと告げ、
次に言った言葉が、ずっと私を苦しめている。
最初のときは、OK、やってみる、と答えることができた。
だけと何年か後、同じ言葉を留守電のメッセージで聞いたとき、
私はそれに答えなかった。
いつもはすぐに、折り返し電話していたのに。
一度だけ、そのときだけ、忙しさを言い訳に返事をあと回しにして、
やがてタイミングは失われてしまった。
私が知っていた電話番号は、そのあと通じなくなった。
彼がアメリカを去り、
移り住んだ中東からまた電話をかけてくれるようになったとき、
以前より幾分か沈んだ声を聞くたびに、
私はあのときの後ろめたさを、思い出した。
マイクルがいなくなったと知ったとき、私の耳にあの声が甦った。
それが張り付いて消えない。
彼は静かに、言った。
「I need your help」と。
※完全日本語字幕付をさがしたのですが、みつかりませんでした。
以下に全文の訳を掲載しておきます。
詩の朗読部分は、動画の訳と若干異なりますが、
個人的にはYouに神のニュアンスを含めた下記の訳の方がしっくりしています。
◆歌詞の訳 | ◆詩の朗読部分の訳 |
抱きしめてください ヨルダン川のように そうすれば、あなたは僕の友 連れて行ってください 疲れてしまったとき 彼らは、僕に言うのです 誰もが僕を操ろうとする とても混乱しています 抱きしめてください 導いてください 連れて行って 僕を救ってください 僕を抱き上げてください 抱きしめてください 僕を必要としてください |
暗い闇にあっても 深い絶望のときも 僕のことを気にかけてくれますか? 変らず、そこにいてくれますか? 試練のときも 暴力に襲われているときも 懺悔のときも 明日に希望を持っているとき |
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