Around the 中東、A piece of 中東 ②
カイロ経由でダマスカスに入る予定だった。
デモの映像の合間に、エジプト航空が飛ばないとニュースが告げても、
口では、本当に私行くのかな、などとつぶやきながら、
心の中では、私はきっと行くだろう、行けるだろうと、思っていた。
旅に出るタイミングは、ときに唐突に訪れる。
唐突なのに障害もなく、するすると気持ちが動き、あっという間に行くことに決まる。
気がつくと、自分の足元からまっすぐ目的地まで続く一本の道が、
開けているのである。
今回のシリア・ヨルダンは、まさにそんな旅だった。
エジプト航空からカタール航空に変更となり、ドーハ経由でツアーが催行となった。
シリアにもヨルダンにもデモは波及しているとのニュース。
詳細はわからないが、エジプトほど大規模なものではないようだし、
そもそも見て廻るのは都市部から離れた遺跡がほとんどだ。
移動も観光バスだし、ダマスカスには日本人の駐在員もいる。
現地ツアーオペレーターの判断で支障なしということであれば、
問題はないだろうと、私はまったくのんきに構えていた。
が、友人は少し違った。
本当に行くのか!? と心配げで、少々あきれ気味でもあった。
中東という地域と、その中東での政治デモというものが、
非常に不穏なイメージで彼女の中に定着しているのは想像できた。
私は、テロよりデモのほうがよほどいいではないか、 と答えた。
テロは無差別に、あるいは欧米観光客がターゲットになったりもするが、
デモの向かう対象は、私たちではない。
私はデモにシンパシーを感じていた。
このタイミングで行くことになったのも何かの巡り合わせで、
意味のあることとすら思っていた。
エジプトのデモは、政府によるデモ隊への襲撃で緊張が高まったけれど、
軍の慎重な動きによって、ムバラク退陣で収束した。
自爆テロなどではなく、平和的なデモでこそ社会が変るというモデルを、
エジプトに示してほしいと願っていた。
このモデルが、テロの抑止力ともなるだろうと。
連日報道されるエジプトのデモの映像で、気づいたたことがあった。
女性の姿の多さである。
欧米キャスターの取材にも、臆することなく応じている。
エジプトがそれだけ世俗化されているということだろうか、
ベールもかぶらず、身体も覆っていない女性も多い。
イスラム社会で違和感を感じることのひとつに、
女性たちの全身を覆う服装がある。
(女性にあっては)髪の毛すら性的な挑発であるとする、
イスラムの教えのためである。
けれども、これをもって女性の自由を抑圧している、という西欧の見方には、
少し違和感も感じる。
エジプトのように、隠すも曝すも、いずれも女性の選択である国にあってはなお。
(ヨーロッパの公共の場でのベールやブルカの禁止は、
アラブ系移民に対する、聖俗の分離に従え、という理屈の、
象徴的な意味合いを持たされてしまった。
イスラムは宗教というだけではなく、
俗の習慣やメンタリティーを規定するものである、ということが、
彼らには理解できないようだ。
それとも、ことは実は別のところにあるのか?
が、この力ずくの要請は、
けっして彼らが望むような結果をもたらなさいと、私は思う。)
今回私は、ダマスカスのイスラム寺院、ウマイヤドモスクを見学した。
モスクでは外国人女性は、貸し出される灰色のフード付マントをまとう。
ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男みたいな姿である。
これが、まとってしまうと別にどうということもない。
女性どうしの服装チェックも入らないし、
露出する肌への男性の視線を意識することもない(もうずっとないけど)。
私などすっかりなじんでしまい、マントを返さず(まとっているのを忘れていたのだ) 、
そのまま外に出ようとしてあきれられた。
確かにイスラムには女性差別があるだろう。
だが女性差別は、キリスト教にも仏教にもある。
(いまだ)西欧にもアジアにもアフリカにもある。
ハーレムには、女同士の結束・連帯もあるという。
どこであれ自らの言葉をかたり、
信じる行動をなす女性の姿は、 世界共通のものだ。
アラブ社会にもそれはしっかりとあるのだということを、確認しておこう。
(『リビアの小さな赤い実』の母のように。)
そう言えば出発の前、カタール入国のビザについて調べていて、
政府系のサイトに行き着いた。
その英語ページの、 wives という単語が目にとまった。
これまでワイフを複数で使うことがなかったからだろう。
これについて、ダマスカス駐在員が語ってくれた。
シリアでは、近年、複数の妻を持つ男性はほとんどいないそうである。
経済的な問題もあるが、
全てが契約であるイスラムにあっては、
結婚にあたっての契約書に、この件もしっかりと明記される。
今ではそこに、複数の妻は持たない、
他に好きな人が出来た場合は離婚してから再婚する、
というような条項が、あたりまえのことと言う。
さて、エジプトのデモ取材で、
素顔も、髪の毛もさらしなが一人の女性が語った言葉。
「私は36歳です。この歳になるまで、
一度も選挙にいったことがありませんでした。
それだけ、無力感が大きかったのです。
そのことを、今は恥ずかしく思っています。
これからは、選挙に行きます」
希望に溢れた真摯な言葉がまぶしかった。
【参考】
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