おとといの美容院、カットしてくれた歳若い担当者との世間話。
車の話題からエネルギーの話になり、最後に彼がひとこと、
「原発、再稼動したらだめですよね」
三重のドーナツ状の輪に、意見が分かれる「再稼動」。
真空に見えるまんなかにずっと「Yes」と押し付けてきたものを、
私たちは今「No」と言いながら、
共に背負っていかなくちゃならない。
でも、どんな形で?
まずは「NO!」と言うこと。
現在と未来にまたがる、大きな犠牲の上に、
やっとここにたどりついた。
けれども、三重のドーナツの一番外側に、
その「NO!」が伝わらないもどかしさと、
まんなかにいる少数の人びとの、
「(事故のリスクは)覚悟のうえです」
という言葉に挟まれて、立ちすくむ。
「事故で死ぬ前に、原発がなくなったら生きていけない」
脱原発への道は、彼らが生きていける道と重なり合う形でしか、
現実のものにはならないような気がする。
重なりあう形でしか、してはいけない気がする。
痛切なまんなかの叫びは、一番外側の推進勢力と呼応してきた。
この構造を、私たちは、どうしたら変えることができるんだろう・・・。
原発ゼロの5月5日に考えたこと。
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