モロッコが全然整理できないままイタリアに行って帰ってきて、
これがまた心残りたっぷりで困った。
イタリアはフリードリッヒ二世ゆかりのプーリア、
帰国後塩野さんの上下二巻でその生涯を読めば、心残りはいや増すことに。
あちこちにアラブ・イスラム世界とのリンケージはあるしで、
アウトプットできないことがぐるぐると渦巻いている。
これが時間と共に薄れていく事に、おそれと焦燥感あり。
この間に読んだ本のメモをいくつか、
プーリアのブリンディシの項をやっとブログにアップ。
これまでだったらそれをそのままこちらにも転記していたけれど、
トップページにタイトルがすでにリンクされているので、
そのまま転記だとダブって表記されることに。
この問題いまだ思案中。
最近、30年前に書かれた『アラブから見た十字軍』を読んで、
特に1099年の第一次でエルサレムが陥落してからの最初の50年が、
今のあのあたりの紛争図とぴたりと重なるのに驚いた。
ちょうどイラクで、ISISという反政府組織がモスルを陥落し、
バグダッドにも迫ろうというニュース。
西洋では単に遠い歴史に過ぎない「十字軍」が、
アラブ・イスラム世界ではつい昨日のことのように思えてきて、
現在の問題に二重写しになる。
著者は西洋のあの侵略と占領を、アラブは今でも、
「ある種の強姦(レイプ)と感じている」、と書く。この感情は、
もし第一次世界大戦で英米による分割統治という侵略と占領がなければ、
そのことの一つの帰結としてのイスラエル建国がなければ、
千年の時を経てよみがえることはなかったかもしれない。
レイプでもハラスメントでも、加害者は己の加害性をたやすく忘れる。
加害との認識すらないことも多い。
千年前のことを持ち出すなんて、と西洋は思うだろう。
あるいは、真の原因を他に転嫁していると、言うかもしれない。
けれども、千年の感情を呼び覚ますような百年前の現実は、目の前にある。
イラクは国が分裂するかもしれないと言うけれど、
百年前に、宗派や民族や部族を分断して国境線は引かれた。
暴力的な分断による抑圧されたエネルギーが、
何らかの原因で重しがはずれることによって、噴出する。
そんなふうにも見えてくるのだ。
アメリカはフセインという重しを、
まったく的はずれな中東政策によって、しかもこれ以上ない暴力的なやり方で、
はずしてしまった。
その責任をとるべきである、という声がある。
でも、その責任の取り方がまた的をはずしたら?
イラクや中東の問題は、アメリカの同盟国として、
的外れな戦争に駆り出される可能性を持つことになるだろう私たちの、問題でもある。
「シリアとイラク、連動する危機」(6/27-28)
「シリアとイラクをまたぐ「イスラム国」が出現!?」(6/30)
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