『戦後史の正体』 と朝日の書評

posted in: 読書NOTE | 0 | 2012/9/30

「戦後史の正体」が知らない間にベストセラーになっていた。
今日の朝日新聞にも書評が載った。
三分の一くらいまで引き込まれて読んでいた私は、
この書評にかなり違和感を覚えた。

「自立への一助にできるか」というタイトルは、一見肯定的なように見える。
だが、全体を読むと、なんだかすごく気持ちが悪い。
いきなり、「本書は典型的な謀略史観でしかない」と決め付け、日本の対米追従は、「政官界が(アメリカの)顔色をつねにうかがいながら政策遂行してきたからに他ならない」と、あたかも日本が勝手にアメリカの意向(利益)を想定し、それに従ってきただけのような書きかたをしている。

だが同時にこうも書いている。
「そもそもどの国であれ、自国の国益を第一として動くのが当たり前だ」
「米は日本にとって守護者でもなく、国益のために日本を利用しようとする「他者」にすぎない。そいうリアリズムが戦後の日本人には欠けていた」

アメリカの圧力は何もない、と書きながら、同時に、アメリカは自国のために動き、日本を利用している、と書く矛盾。今や日米に密約があったことは周知の事実であるのに、日本が顔色うかがってやってるだけ、はないだろう。

それから、アメリカの「当たり前の」国家エゴを見ることが出来ない原因を、ただ、戦後の日本人には「リアリズムが欠けていた」と単純化、いや矮小化していること。
密約であれば、それが見えなければ、リアリズムも何もない。「欠けていた」のは、情報とそれを伝える報道であろう。「戦後史の正体」は、まさにこの「欠けていた」ものを明るみに出した本なのだ。

もうひとつ「なんかヘンだなあ」と感じたのは、この書評が「朝日」らしくない、ということだ。「朝日」のイメージにそぐわない。朝日新聞って、「謀略史観」と切って捨てるような乱暴な書評を平気で載せるような新聞だったっけ?

それから、とってつけたような最後もヘン。

 本書も「今の日本がうまくいっていないのは米国の陰謀があったからだ」と自己憐憫と思考停止を招くのか。それとも「これからは自立していかなければ」と前に踏み出す一助になるのか。後者であることを切に祈るばかりだ。

評者の結論は、この本は、「前に踏み出す」よりも、「自己憐憫と思考停止」の一助になる、と言っているのだ。そして、ここでも「陰謀」という言葉が持ち出されている。

だが、私が「戦後史の正体」をここまで読んだ感想はまったく逆だ。孫崎さんは、「前に踏み出す一助」のためにこの本を書いたのだ。

★孫崎さん自らの反論はこちら

10/1日
引き続き4分の3ほど読み進み、東西冷戦後の直前まで来た。
学校では戦後史などほとんど取り上げないし、自分で学ぶこともサボってきたしで、特に第二次世界大戦直後のアメリカとのやりとりは知らないことだらけだった。
でも良く考えたら、一部の人しか知らず、表に出す人もおらず、国民は知ることができないできた、そういうことばかりだった、が本当だろう。

(中国と韓国が学校で戦後史をしっかりと教えているのに対して、-たとえ抗日教育であっても-日本ではほとんど教えないというのも、ヘンな話ではある。)

さて、この本は、戦後の日本の対米政策を、「対米追随」と「自主路線」のせめぎあいであったとし、その政策遂行のありさまを、表裏左右上下と色々な側面から迫って描き出したものだ(孫崎さん自身は「自主路線の立場だ」と書いている)。
すると意外なことに、ときどきの政治の動きや、当時の首相の意図が、教科書的な本やマスメディアが伝えてきたイメージと180度違っていたりして、驚きもするが、腑にも落ちるのだ。

たとえば、反安保運動で岸信介が退陣しなければ、むしろ新安保条約は(現行より)日本に有利なものになったかもしれない、ということとか。
この部分だけとりあげると、朝日書評の「陰謀史観」も少し頷ける気がする。けれども、陰謀があったかなかったかは置いて、どうコトが進み、誰が得をしたかを見ると、それもあっただろうと思えてくる。

ひとつだけ確かなことは、「自主路線」派の首相や政治家が、アメリカの利益に反する政策をとろうとすると、必ず政権から追い落とされてきた、という事実である。
また、孫崎氏は、公文書や論文、ウィキリークスで明かされた機密文書なども多数上げているので、まったくの推論だけで語っているところはむしろ少ないのだ。

どこかのインタビューで、ここまで書いちゃって大丈夫ですか?と訊かれ、孫崎氏は、でもアメリカは全部知っていることで、知らないのは日本だけなんですよ、と答えていた。

残念なのは、今の日本が、福田康夫内閣の「全包囲外交」や、鈴木善幸内閣の平和路線に比べても、むしろずいぶん後退していることである。
これら首相に対する「お仕置き」を見てきた政治家が、さらに自主規制を強めている、ということはあるかもしれない。

脱原発官邸前デモが10万人を超えたとき、60年安保以来だと報道された。
「1930年代原発ゼロ」がアメリカからの「懸念」によって閣議決定されなかったとき、私は、時代はまた安保に戻ってきたような気がした。世界とアメリカとアジアと日本、それぞれの状況はあのときとは大きく異なっている。そのなかで、アメリカが国益のために日本を「利用」しようとしているのに対して、日本は、自分たちの利益を最大限しに、不利益を最小限にするために、何ができるのだろう。日本の戦後は、いつ終わるのだろう。

10/2
昨夜読了。これまでの感想は少しも変わらない。
ただ、冷戦が終わったことによるアメリカの世界戦略の変転が、いかに大きく日本に影を落としているかを、あらためて認識した。それはまた、アメリカの経済力の低下とも連動している。

対日政策は、アメリカの競争相手となった日本の経済力を削ぐことと、同時にアメリカの軍事費(人的にもだが)を負担させることに、さらに重点がおかれるようになる。この傾向は、TPPなどを見ると「搾取」に近くなっているが、それだけアメリカの余裕もなくなってきているのだと思う(「アメリカの利益が自分の利益」であった経済界も、今まで同様の追随のままでは、足元を掬われるのではないか)。

それから、領土問題。これは一貫しているのだが、アメリカは敢えて、日本と中国、韓国、ソ連(ロシア)に領土紛争の火種となるような問題を残してい る。アメリカにとっては、日中や日ソが緊密に結びつくことは許されないことなのだ。このタイミングで、この点を押さえておくことはとても重要だと思う。

読み終えると、不思議な感動が残った。
実はこの本を読むまで(読みながらも)、日本がアメリカの思惑を超えて主張し、動くことが出来ないのなら、政権交代しても、首相がいくら替わっても、あまり意味がないのではないか、と思っていた。「どうせ同じなんだ」という、無力感や諦念があった。

けれども、党やイデオロギーに関係なく、きちんと主張した政治家がいたこと、アメリカの攻勢に身をもって抵抗し、退陣と引き換えにしてでも、日本の不利益となる要求を跳ね除けた首相がいたことを知った。
この点は、孫崎さんも「思ったよりはるかに多く、米国に対して堂々と物をいった首相たち、政治家たち、官僚たちがいた」「これはうれしい驚きでした」と述べている。

最後に、あとがきから少し引用しておこう。

 ではそうした国際政治のなかで、日本はどう生きていけばよいのか。
本書で紹介した石橋湛山(たんざん)の言葉に大きなヒントがあります。終戦直後、ふくれあがるGHQの駐留経費を削減しようとした石橋大蔵大臣は、すぐに公職追放されてしまいます。そのとき彼はこういっているのです。

 「あとにつづいて出てくる大蔵大臣が、おれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを二、三年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう」

 そ うです。・・・米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。で すからその次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたりせず、またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。

ずいぶん甘い理想論に聞こえるかもしれないけれど、孫崎氏は、つづいて、これを実行したカナダの例を紹介し、アメリカの強い圧力があっても、それに粘り強く立ち向かい、「自主路線」を貫くことは可能だと説く。

カ ナダでは、アメリカに抵抗した(北爆反対)演説をし、「ジョンソン大統領につるしあげられて」退任したピアソン首相の名前を、外務省のビルや国際空港に冠 している。つづく首相も「アメリカに毅然と物をいう」姿勢をつらぬき、イラク戦争への参加拒否も7割の国民が支持したという。

私たちに も大きな課題がある。民主主義国家の主権者としての自覚と、成熟した市民感覚を育てること。短絡的な(マスコミの)(ネガティブ)キャンペーンになど、乗 ることなく。そのためには様々な情報が大切だけれど、孫崎さんは、「一番の情報は歴史である」とも言うのである。

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