そのときにはわからなかったことって、たしかにある。
たとえば、わたしらが二度も棄てられていたこと。
一度目はあそこに、50キロ離れた浜辺に、
太陽のように輝かしい発電所ができたとき。
わたしらに、それはほとんど関係がなかった。
なにやら新しい技術で、みなのためになるということだった。
それでも、わたしらに、それは関係がなかった。
野辺では、昨日と同じように、風がコスモスをゆらしていた。
発電所の村は、ずいぶん豊かになったと噂に聞いたが、
そんなうまい話と、誰もとりあわなかった。
あのとき、わたしらの村も、あの村も、10キロも50キロも、
みな、棄てられていた。
けれども、誰にそれがわかっただろう。
おまえたちは無関係だと、安全だと、あの事故のときですら、ニュースは言った。
みんな嘘だった。
けれども、誰にそれがわかっただろう。
二度目に棄てられたとき、
わたしらの村には、助けを求めて逃げてきたひとたちがいた。
幼い子どもがいた。
若い母親がいた。
老いた夫婦がいた。
まるでわたしらの弟のような、姉のような、娘のような、
孫のような。
その夜、雨が降った。
黒い雨は、いつか黒い雪に変った。
けれども、誰も、それに気づかなかった。
雪はいつも白いのだと、わたしらは思い込んでいたから。
もしそれが薄汚れた色をしていたとしても、
それは自分の目がおかしいのだと、疑うことをしなかった。
雪はいつも清潔で、汚れていたことなど、なかったから。
わたしらは黒い雨と、黒い雪にまみれた。
あの夜。
次々にやってくる車を、濡れながら、駐車場に誘導した。
湧き水で炊いた米で、にぎりめしを作った。
あったかい、お茶を淹れた。
6,000人の村人も、逃げてきた1,300人の人々も、
あのとき、棄てられていた。
隣家の若者は、明るく笑って言う。
どうせもう、俺、被ばくしちゃったし。
振り切れた、ロシア製のカウンターを手に。
わたしらが一番恐れているのは、放射能ではない。
怖いのは、わたしらを三度棄てようとする、この国の人たちだ。
わたしらは明日のあんたらだということを、
わたしらを捨てようとする”あんた”は気づいていない、ということだ。
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