いつかアナイス・ニンのことを、ゆっくり考えてみたいと思っていた。
一連の『日記』で、知る人ぞ知るといった作家なのに、
日本ではすっかり忘れられているようなのが、不本意でもあった。
そうは言っても、ずっと頭のなかにあったのは、日本では1990年に訳出された、
無削除版の日記第一弾『ヘンリー&ジューン』と、
その5年前に富士見ロマン文庫で読んでいたエロチカ二部作だけだった。
はるか昔に読んだ『アナイス・ニンの日記』(以下『日記・編集版』)は、
記憶のかなたに後退していたし、
他の作品はほとんどまともに読んでいなかった。
だからこの時点では、私の中のアナイスのイメージは、
複数の性愛を生き、それを率直に、リリカルで透明感のある文章で書いた人、
というものに過ぎなかった。
彼女の先駆性は十分わかっていたつもりだったし、
内省の鋭さと描写力で、日記といえども文学だ、という認識はしっかりあった。
またその『日記』も、『日記』に記された彼女の生も、
稀有で特異なものであり、そこから導き出されるアナイス像は、
ひと言で言えば、人生を小説として生きた女性、というものであった。
が、まず処女作『私のD・H・ロレンス論』で、がつんとやられた。
アナイスは、ヘンリー・ミラーによって奔放な性愛に目覚めさせられたわけではなく、
彼女の中に、すでに、性の主体としてのプリミティブでラディカルな女性像が
出来上がっていたことを知った。
すべては、アナイスのなかにあったのだ。
その意味では、 ヘンリー・ミラーも、父も、オットー・ランクも、
触媒にすぎなかったとも言える。
私が捉えていた印象は、基本的には変わることはなかったが、
その後、腰を据えて『インセスト』(無削除版第二弾)を読み、
『ヘンリー&ジューン』を再読し、小説にも足を踏み入れてみると、
そこには、 想像していたよりも硬質で深い思索と、
はるかに大きな渇望と幻想、複雑な心の動きと行動、勇気、
そしてそれに伴う歓喜と苦悩が記されていた。
アナイス・ニンをひと言で語ることは出来ない。
途方に暮れたように立ちすくみ、やがて、
彼女を語るには、これらの絡み合う要素をできるだけそのまま、
まるごと追っていくしかないのだと気付いた。
というわけで、『色・褪せない』のアナイスの項は、
かなりの引用を挟みつつ、5話もの長さになってしまった。
それを一応書き終えたあとも、まだなんとなく落ち着かず、ついに、
屋根裏に押し込んだまま埃をかぶっていた、
『アナイス・ニンの日記』をひっぱり出してきた。
こちらは、本文の趣旨には関係ないだろうと、
あまり触手が動かなかないままに、放ってあったのだ。
(なにせ、性愛部分はごっそりとカットされているので。)
けれども、読みかえしてみると、色々考えさせられることがあった。
まず思ったのは、1974年に出たこの『日記』の、何を私は読んだのだろう、
ということだった。
今読むと、カットされている部分、編集されている部分がはっきりとわかる。
だが、それを知らずに読むと、
なぜアナイスは、アランディやランクの分析をあれほど必要としたのか、
精神分析によって救われなければならなかった内面的な危機というのが、
よくわからない。
事例がないまま語られる、抽象的な困難や苦悩、「分断された生」が、
どうしてもリアルに浮かび上がってこない。
ヘンリー、アランディ、ランクに対する感情は、「友情」と語られている。
それを恋愛感情と読みかえ、肉体関係を憶測することによってしか、
彼女の感情の揺れ動く軌跡を、納得して追うことができない。
父親との関係も同様だ。
もうひとつ決定的なことは、 こちらの『日記・編集版』では、
夫ルーパートの存在が見事に消されてしまっていることだ。
彼の意向もあっただろう。
だが、『日記・無削除版』を読めばわかるように、
アナイスの葛藤の要にいるのがルーパートなのだ。
もし夫がいなければ、彼女はあれほどの苦悩を抱えることはなかった。
少なくとも父とのこと以外では。
ゆえに、当時、『日記・無削除版』を知らずに読むかぎりでは、全体を通して、
薄いベールをかぶせられた彫刻を見るようなもどかしさが、残ったはずである。
一箇所だけ、鉛筆でしるしをつけたところがあった。
そしてわたしのいいたいこととは、
実は芸術家や芸術の問題とはちがっている。
発言する必要を感じているのは女としてのわたしなのだ。
しかも、単にアナイスという女が発言しなければならないのではなく、
多数の女たちのために発言しなければならないわたし、なのだ。
自己発見がすすむにつれて、
わたしは自分が単におおぜいの女の一人にすぎない、
一つのシンボルなのだ、と感じるようになった。……過去や現在の女性たち。過去の声なき女たち、
言葉をもたない直感のうしろに避難した、ものいわぬ女たち、
他方、行動のかたまりで、男性の模倣である今日の女性たち。
そしてわたしはその中間にいる。
ここには個人的、女性的な横溢がある。
本や小説や芸術には向かないさまざまな感情。
そのすべてをわたしは変容させるのではなく、享受したいのだ。
ランクに日記を書くことを止められ、
小説にエネルギーを注ぐべきだとはわかっていても、 それでも、
「ストレートな個人的表現」(=日記)を必要としていることを述べた箇所だ。
ふと疑問に思った。
この部分は、最初から『日記』にあったのだろうか?
もしかしたら、編集の時点で、
時代感覚に触発されて書き加えられたのではないか。
この直前には、「身をけずるような『近親相姦の家』、
わたしの地獄の季節を数ページ書き上げても、
骨の折れる、緻密な<分身>(『人工の冬』)を十ページ書いても、
なおわたしは心みたされない。 まだいいたいことがあるのだ」
と記されているのだが、ここから一気に、
「多数の女たちのために発言しなければならないわたし」が導き出されるのが、
唐突で、飛躍があるように感じられたのだ。
アナイスには確かにずっと「女性の視点」があり、
その意味でも先駆的であることは、あらためて言うまでもない。
そして、『日記・編集版』から『日記・無削除版』が出るまでの彼女の評価は、
ひとえにこの、「多数のおんなたちのために発言」したことにあった。
だが、1931年から34年をカバーした『日記・編集版』で、女たちの代表、
「一つのシンボル」意識のようなものをはっきりと書き記しているのは、
この箇所だけなのだ。
「行動のかたまりで、男性の模倣である今日の女性たち」とは、
この日記が書かれた1930年代ではなく、
編集された1960年代の女たちのことではないのか?
発表当時、爆発的評価を引き起こすのに、
この箇所があまりに時代のツボにはまっているように思える。
当時の女たち、そしてその後の女たちに向けての、
これは1960年代のアナイスのメッセージではないのか。
彼女は、同時代の女たちが決してこの箇所を見落とさないことを、
確信していたのではないか。
ここがあってもなくても、本質的にはなんら変わりはないので、
こまかなこだわりはどうでもいいのだけれど、ただ、若かった私も、
あっさりとアナイスの手管にはまったようで、おかしかったのだ。
いずれにしろ、書かれた当時の認識であれ、 編集時の自覚であれ、
アナイスが自分の生と『日記』を、
女を(が)語る「一つのシンボル」とも捉えていたことは、
指摘しておかなければならない。
一方、『日記・無削除版』で物足りなく思っていたことが、
『日記・編集版』で補完的に読めたことは(すっかり忘れていたので)
嬉しい驚きだった。それはジューンやヘンリー、ランクやその他の人びとの、
肖像を書き込んだ部分だ。
『無削除版』では重複するとしてカットされている、
これらの人物描写は本当に素晴らしい。
そして、アナイスの、作家として、一人の女として、
なにものにも寄りかからずに立とうとする意志。
これはルーパートが消されたことで、一層強調されている。
矢川澄子は、『「父の娘」たち』で、
『日記・無削除版』が出版された1986年以前と以後では、
作家アナイス・ニンに対する評価は大きく異なる、と記している。
そのことが、編集版と無削除版の両方の『日記』を再読してよくわかった。
今や彼女の『日記』は、いずれか単独で読まれるべきではない。
今回、憑かれたようにアナイス・ニンを読み、その姿を追い、
苦しかったけれど、でも、とても大きな収穫を得たようにも感じている。
何より私が受け取ったのは、勇気だ。
そのことがとても嬉しい。
それから、ヘンリー・ミラーとの関係の素晴らしさ。
40年代にはなにかのきっかけで不仲になったとされるが、
アナイスが『生涯の夫』と呼んだヘンリーとの友情は、その後復活し、
彼は、『日記』をそのままのかたちで出すべきだと、
ずっとアナイスを励まし続けた。
二人の作家が、おしみなく己を与え合った姿に、
どれほどそれぞれの作品にインスピレーションと養分を、
大きな力を与え合ったかに、私は感動とあこがれを覚えた。
彼女の著作も、知らぬ間にこつこつと出版されていた。
『人工の冬』に至っては、アメリカで発禁になったパリ版が昨年訳されていたし、
今年もあらたに『ミノタウロスの誘惑』が出た。
あとは『日記・無削除版』の続きが待たれる。
アナイスは、父との「インセスト」とランクの分析を経て、
本当に「父」なるものを卒業したのか。
彼女は、「生きるためには幻想が必要だ」(同感である)と書いているが、
「父」を葬ったとしたら、その後のアナイスの中の「幻想」は、
どのように変化したのか。
叶うものなら、さらに、40代の、50代の、60代の、
そして70代のアナイスの内面の変化を、読んでみたいものだ。
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