ダンシング・イン・ザ・クローゼット<1>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。
ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

   <1>

 

ああ、あの話…
本当に、あの時はもうモデルはやめようと思った。
結婚もしたいし、とにかく静かに暮らしたかった。
今は少し気持ちが変って、
いつまで続けるかって? さあ、そう言われても…。
 
ありがとう、できる限り、続けたい気持ちはある。
だけど引退でもしなきゃ…、そうそう、この前だってイタリアで、
地元の観光客しか来ないような小さな島だったのよ…、
知ってるって?
でしょうね、すぐに、なにもかも知られちゃう。
しかもまがいものの、混ぜ物だらけの”真実”が。
 
いくら腹を立てたからって、カメラマンを殴るのは酷いと皆私を責めるけど、
じゃあ私が何故彼を殴ったのか、それは誰がわかってくれる?
去年のバースデーの日、モナコで、Pと大喧嘩してパーティーを追い出されたことも、
面白おかしく記事にするだけ。
 
あんたたちにとったら、私みたいなのはかっこうのネタ、いや獲物。
お互い様だって?
騒がれなくなったらおしまいだろうって?
そういうことを、有名人を追っかけまわして、あることないこと書きたてて、
それで飯を食ってるヤツに言われたくない。
悪いけど、インタビューはこれで終わりにしてよ。
 
どう書いてくれてもかまわない。
何を言おうが言うまいが、どうせキオスクに並ぶ誌面は同じなんだから。
これ以上話してると、きっとまたハンドバック振り回したくなる。
もう逮捕も告訴もうんざり。
だけど、自分を守れるのは、自分よりほかにいやしない。
もっと賢く振るまえる女もいるだろうけど、
こんなやりかたしか私にはできない、知ってるでしょ。
 
・・・謝るって? 
確かに記者の中にはハイエナ以下のヤツもいるって?
で、自分だけは違うって言いたいわけ?
ふん、そういうのが一番信用できない。
 
じゃあ、約束してよ。
原稿を事前にチェックさせてくれるって。
それと、私もこのインタビュー、録音させてもらう。
私はね、やられっぱなしはごめんよ。
マイクルみたいにはならない。
 
彼の話を聞きたいって?
OK、私も、彼の話がしたい。
あれから毎日、気がつくと彼のことを考えてる。
Liberian Girlが、エンドレスで頭の中に鳴り響いてる。
In the Closet じゃないのかって?
それが違うんだ。不思議なことに。
誰にも話してなかったけど、
Liberian Girlは、初めて彼にあったとき、流れてた曲だった。
 
 
まだ『BAD』は出てなかった。
レコーディングは終わってたと思う、
でもMV(ミュージックビデオ)はこれから、
そういうタイミングだった。
 
とにかく、あの日の午後、ロスのスタジオの中庭で、私は雨を眺めてた。
撮影が延期になって、確か、機材の故障か、それともカメラマンが熱を出したとか、
そんな理由だったんじゃないかな、よく覚えてないけど。
皆は車で帰っちゃって、私が歩きたいと言ったから。
こういうことはよくあったかって?
そんなことない。若いくせに生意気だと、いつも煙たがられてはいたけど、
たいてい撮影のスケジュールがぎっしりで、そんな気ままは…、
ううん、VOGUEの表紙に初めて出たのは、その次の年。
 
きれいな中庭だった。
背の高いやしの木が何本かあった。
雨の雫が、大きく腕を広げた葉の先や、ざらついたた幹を伝わって、
音もなく上から下へ零れ落ちて。
しばらく見とれてた。
ロンドンの雨と違って、西海岸に降る雨はあったかくて、
雨は本当はだいきっらいなのに、このときはいやな気持ちにならなかった。
なんだか、ほっとするような、萎れていた葉っぱが、みるみる張りを取り戻して、
私のからだも、久しぶりの雨に潤ってくみたいな…。
 
しばらくぼんやりとしてた。それから、
マネージャーが、昼食のときに明日の打ち合わせをすると言ってたのを、思い出した。
それでホテルに帰ろうと思って、気がついた。
私、傘を持ってなかった。
本当に、さあ帰ろうと思ったそのとき、思った。
何故、誰も頭の上にさっと傘を開いてくれないのかって。
 
思わず自分を笑った。
モデル生活たった二年で、自分が必要とするものを、
ちゃんと自分で用意して出かけるということを、私は忘れてしまってた。
だって雨は朝から降ってたんだから。
 
そのとき、視線を感じた。
モデルはね、人の視線にはとても敏感なんだ。
ハハハって、小さく笑う声も、聞こえたような気がした。
雨みたいにとりとめのない、子供みたいな…。
あたりを見回した。誰もいない中庭を。
それから庭の真ん中まで出て行った。どうせ濡れて帰るんだし。
 
雨が、やしの木を濡らすのと同じように、私を濡らし始めた。
やしの葉の合間に、いくつかの窓が並んでいるのを順に見ていった。
そのひとつに人影があった。見つめてたら、その窓が、すーっと開いた。
ウェーブした黒い髪がいく筋か額にかかってて、
明るい色の、きれいにメークした肌の、眼の力の強い女性だと…、
ううん、そりゃ彼のことは知ってたけど、
テレビ画面とグラビアの中でしか見たことなかったし。
わからなかった、彼だって。
 
ハ~イ、そう言って彼女は、いや、彼は笑みを浮かべた。
同時に、音楽が流れてきた。
ベースの刻むリズムがお腹の底まで届いて、心地よかった。
I love you Loberian Girl というフレーズのあとに
不思議な響きのささやきが続いて、すぐに惹かれた。
ハ~イ、私も答えた。
その曲、なんて曲なの? そう訊こうと思った。
 
随分早いね、彼が言った。
早い? 何を言っているのか、私にはわからなかった。
オーディションは午後からだよ。時間を間違えた?
私は首を横にふった。
それに、君は入り口も間違えてる、そっちは写真撮影のスタジオだよ。
入り口は建物の反対側で、
待って、今行くから…。
窓は開いたままだった。
コーラスが、うねるようにリフレインしていた。
 
Liberian girl
You know that you came
And you changed my world
I wait for the day
 
動けなかった。
大げさに聞こえるかもしれないけど、
ほんとに、動けなかった。
そのとき私は、アフリカの西のはずれの、
雨を知らない乾いた大地から今しがたやってきた、
Liberian girlだった。
 
リベリアのことは、アフリカ系アメリカ人が入植して出来た国で、
その後独立国になったということぐらいしか、知らなかった。
なのにあのとき私は、
どこが祖国かわかんなくて、混乱しながらたどりついた見知らぬ国で、
自分を待っててくれた男がいたことに泣きそうになってる、リベリアの少女だった。
スローな、うねるリズムと調べが、あの声で、ハローと私に呼びかけたあの声で、
私を満たしていった。
 
しばらくして、壁の左下の一部が、
壁もドアの部分も同じ白で、ドアノブもなかったし、
かちりと音が聞こえてはじめてドアだと気付いたんだけど、
そこが外側に静かに開いた。
 
ううん、彼じゃなかった。
金髪のショートヘヤの女の人が、入って、ってぶっきらぼうに言った。
おおきなタオルを持ってて、それを渡してくれた。
すたすた歩いていくのを、濡れた髪を拭きながら追っかけた。
エレベータに乗ると、初めて小さく笑ってくれて、ほっとした。
 
エレベータを降りたら広いホールで、いくつかの閉まったドアと、
ひとつだけ開いてるドアがあって、
ソファーでは黒人の男の子が、ハンバーガーを食べてた。
それで私はまた、マネージャーとの約束を思いだした。
昼食に間に合うように帰らなきゃって。
 
オーディションまでまだ大分あるけど、どうする?
さっきの女性が言った。
ここで待っててもいいわよ、で、名前は? あ、私はクリス。
ナオミよ・・・
 
ダン、ネームリストはどこなの? 
若者は、ハンバーガをほおばったまま肩をすくめただけだった。
悪いけど、まだ受付も出来ないわ。
お昼を食べてきます、私はそう答えた。
で、ナオミ…
キャメロン、
OK、ミズ ナオミ・キャメロン、希望はステージのバックコーラス? 
それともMV(ミュージックビデオ)のほう?
 
演技やダンスの勉強はしてたし、MVに興味が湧いた。
MVって、さっきの曲の?
さっきの? と聞き返されて、耳に残ってたささやきをつぶやいてみた。
 
Naku penda piya-naku taka piya-mpenziwe
(ナカペナピヤー ナクタカピヤー ペンザウェー)
 
あら、スワヒリ語、わかるのね?
いいえ、と否定したけど、クリスはただ、
あれじゃなくて別の曲、と言っただけだった。
 
彼女は机の上に乱雑に置かれた書類のはしを破りとると、
そこに名前を書くように言い、
私が名前と、少し考えてから電話番号を書いて、
続けてロンドン、と付け加えるのを無表情に眺めてた。
 
それからその紙きれを、机の上のミネラルウォーターのビンで押さえた。
200人よ、応募者、たった数分のMV一本のためにね。
でもまあ、せっかくこんなに早く来たんだから、
ナオミ、あなたが一番最初に受けられるようにしてあげる。
遅れないでね、2時よ。
 
そのとき、開いたドアに彼が現れた。
やあ、マイクルだよ、と握手してくれた。それから、あとでね、って。
ようやくこのとき、全てのことがわかった。
これがマイクルの、新たなステージとMVのためのオーディションだってことが。
 
急いでホテルに戻った。
打ち合わせもそこそこに、マネージャーにオーディションのことを話した。
ネームリストに名前がなくても、きっと受けさせてくれるはず。
でも取り合ってもらえなかった。
勝手なことをするなって、かえって怒られた。
 
今の私ならすぐにクビにしてやるんだけど、そのときは逆らえなくて、
そう、だからオーディションは受けられず、次にマイクルに会えたのは何年もあとのこと。
がっかりでしょ。
これじゃなんの話題性もないもんね、
あいにくロマンスにもならず、MVの相手役にもなれず、よ。
 
彼にどんな印象を持ったかって?
なんと言ったらいいかな、最初は、
長方形の窓に枠どられて、雨のカーテンを越しに見た一枚の絵、
バックグラウンドミュージック付の完璧なビジュアル。
解釈なんて不可能な、ミステリアスな…。
 
そのあと目の前に現れたマイクルは、
動きのきれいな、繊細な容姿と優しい笑顔の人だった。
私にはすぐに分かった。彼は、全く同じ格好をしてる大勢の人のなかにいても、
たくさんのダンサーと同じフリで踊ってても、
遠くからでもひと目で、見分けることが出来る人だって。
 
ニ年舞台に立った経験から、私は知ってた。舞台に立ったとたんに、ただ立ってるだけで、
周囲の視線を一身に集めてしまう人がいる。
彼や彼女はやがて、服を見せるだけのマヌカンであることを辞める。
自分のためだけに用意された、特別なステージを求めて。
 
マイクルにはそういった、なにかスペシャルなものがあって、でも私が驚いたのは、
それがステージの上じゃなくても、しっかりと見えることだった。
だけどそこには、私が知ってる写真や映像じゃ見たことのない、
強さや華やかさだけじゃない、何かがあった。
とってもナイーブで、生まれたばかりのように自然な…。
 
そのあと「BAD」も買った。こっそりコンサートにも行った。
でもどうしても、二人のマイクルがひとつに重ならなかった。
ステージの彼は、私があのときに会った人とはどこかが違っていた。
確かなのは、どっちの彼であっても、彼のところだけは、
天からスポットライトがあたってるように見えたこと。
二人の彼の真実を、いつか自分で確かめたい、それが私の夢になった。
 

 

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