東京都青少年健全育成条例「改正」

posted in: 色・褪せない | 0 | 2010/12/13
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–表現と規制・表現と行為

 

 

継続審議となっていた東京都青少年健全育成条例の「改正」案が、
一部修正され、12月議会に再度提出された。
6月議会では民主党からの賛同が得られなかったが、今回は、
民主、自民、公明の3会派が「慎重な運用」を求める付帯決議付きで合意、
このため、15日に賛成多数で成立することが確定的となった。

⇒マンガの過激性描写、東京都の規制条例成立へ「慎重な運用」で3会派一致

今回の修正案では、規制(保護)対象を指す、「非実在青少年」
(描写から十八歳未満と認識されるもの)というあいまいな表現は削除され、
条文は以下のように変更された。

「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

⇒都の青少年健全育成条例改正案、条文が明らかに、ネット・携帯関連も修正

これには、規制を課される当事者となる漫画・アニメ業界、出版社だけでなく、
日本ペンクラブ、東京弁護士会など、各方面から反対の声が上がっている。

⇒東京アニメフェア:コミック10社会が参加拒否の緊急声明

⇒都青少年育成条例改正案、日本ペンクラブと東京弁護士会が反対表明

これら反対声明は、6月改正案と同様に、
修正案においても「表現の自由」については一顧だにされず、
加えて、規制対象が18歳以下から年齢制限なしに拡大されてしまった、
という点を主張している。

私が以前書いた改正案に対する疑問・反対意見は、
修正案についても全く変わるところが無い。

⇒竹宮恵子 vs アグネス・チャン・・・「東京都青少年健全育成条例の改正案」について

⇒東京都青少年健全育成条例の「改正」について

修正案が成立すると、性描写に関して、作者や出版社に、
自主規制と販売規制が設けられる。
都の条例ではあるが、出版そのものが自主規制となれば、
影響は日本全国に及ぶ。

今回の修正案で目に付くのは、
「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)」と、
対象を明確にし、アニメ以外の映画や小説などを除外している点だ
(6月改正案では、「視覚により認識できる方法で」とあいまいだった)。
これにより、漫画・アニメーション業界以外からの反発は抑えたい、
ということだろうか。

だが、誰もが指摘している通り、これは媒体・分野を問わず、
表現と規制にかんする問題だ。
表現に関わる誰も(ということは表現する側も、
それを受け取る側も)、この修正案を、
漫画・アニメだけに課されるごく一部の規制だ、とは捉えないだろう。

以前書いたことの繰り返しにはなるが、ここでも、
「表現の自由」以外に、もっと疑問の声をあげてもいいと思う点について、
少し触れておくことにする。

ひとつは、性描写と性犯罪の関連について、
科学的根拠が示されていないこと。
日本のこの50年を見ると、
たしかに漫画・アニメの過激な性描写は増えているかもしれないが、
性犯罪数は、実は減っているのだ(犯罪白書)。

また、日本よりはるかに厳しいコミックス・コードにより、
漫画・アニメの性描写を禁止しているアメリカの性犯罪数は、
日本の17倍である。
これら参考となる諸外国の数字も、都は示してはいない。

アメリカでは、性描写に対する厳しい規制が、
コミックスの衰退を招いた(『街場のアメリカ論』内田樹)とも言われるが、
表現が行為を引き起こすというあまりに短絡的な思考回路が、
日本が世界に誇る漫画・アニメ文化の質に及ぼす影響も、心配である。

表現と行為については、内田樹氏も、

「有害な表現」というのは人間が「有害な行為」をした後に、
「これが主因で私は有害な行為に踏み切りました」と
カミングアウトしてはじめてそのように呼ばれることになる。

⇒既視感のある青少年健全育成条例についてのコメント

と述べているが、そもそも、ある表現を行為に先んじて、
「有害」と規定することはできない。つまり、

「それ自体が有害な表現」というものは存在しないということである。

この点に関して、今回、あれこれ拾い読みしていて知ったことがあった。
作家・石原慎太郎原作で映画化された『処刑の部屋』(1956年)が公開されたあと、
作品に影響を受けたとして強姦事件が起こった、というものである。
内田氏の定義によれば、この作品は「有害な表現」ということになる。

が、これと同じように「有害な行為」を誘導した表現は、
過去にどれくらいあるのだろうか?
資料をあたれば調べられるはずだが、
一般化する危険を持つ少数の特異なケースが都知事に起こった、
ということが、今回大きな影を落としているような気もする。

 

【追記】

昨夜のうちに投稿したくて急いで書いたため、言い足りないことも多く、
追記します。

また、12月6日に開催された「都条例問題を考えるシンポジウム」で語られたことが
こちらで紹介されていました。

⇒漫画の中で犯罪を表現したらアウト!?
・・・呉智英氏、保坂展人氏ら都条例シンポに登壇 『非実在犯罪規制』を語る

さて、もう少し表現と行為について。

映画『処刑の部屋』が引き金になったという強姦事件で、
もしこの作品がなかったら、彼らは強姦しなかっただろうか?
これは証明できないことだけれど、同様に証明できないことがある。
この作品を観たことによって強姦することを止めた、という人がいるだろうか、
という疑問である。

つまり表現が行為を助長するのではなく、抑止する、
ということはある得るのか。
実際に行為に及ぼうとしている人が、それによって止める、
ということは考えにくいかもしれないけれど、
暴力的な欲望が鎮められた、というのはありそうな気がする。
いずれの数がより多いのかは、言うまでもないだろう。

ところで、人間は、なぜ強姦するのか?
これは、特に、強姦する側にいる男性に考えてもらいたい問いである。
そしてまた、強姦した男性に訊いてみたい問いである。

古代社会だけでなく、現代においても、
戦争に略奪と強姦はつきものだ。
統計的に強姦件数が一番多いのは南アフリカだが、
これらの事実と表現は、どのような関係にあるのだろうか?
少なくとも、表現と行為とどちらが先かとなれば、
まず行為があった、ということになろう。

人間の性は、行為だけでなく、
性的なファンタジーを必要とする、やっかいなものだ。
そして、私たちの社会で、「強姦」がそのファンタジーのひとつであることは、
憂うべき現実である。
だがこのことと、実際の犯罪とは、
別のこととして考えなければならないのではないか。

漫画やアニメなどの表現の規制を言い出す前に、
もっともっと力を入れなければならないことがあるはずだ。
そのうちのひとつ、性教育はどうなのか。
そこで、強姦被害者の生涯にわたる心の傷は、しっかりと語られているのか。
性は両性にとっての歓びであると、しっかりと伝えられているのか。

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