ダンシング・イン・ザ・クローゼット<8>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

   <8>

 

少し遅れて会見場を出てきたフィルは、
腕を伸ばし、私の肩をぽんぽんと、二度叩いた。
元気を出せという意味だ。それから、「やれやれ」と低くつぶやき、
それ以上何も言わずに帰っていった。

車の中で、私は視線をドライバーの後頭部に止めたまま黙りこみ、
ケイトは、アメリカのあらゆる知り合いに電話をかけまくっていた。
何本目かの電話で、目的のものが見つかった。
「そうよ、それそれ。よかった。
黙ってそのページ、ファックスしてちょうだい。
いい、すぐによ。お願い……」 

オフィスに戻ると、ケイトはファックスに駆け寄ったが、
私はソファーに仰向けになり、手足を伸ばした。
Mの記事でもなく、グレーの天井でもなく、青い空が見たかった。
あるいは乾いた砂漠の砂が。

ううん、違う。見たいのは、やしの木を濡らす雨だ。
その雨のカーテンの向こうに現れた、絵の中の彼だ。
何度も記憶から取り出し、さんざんなでまわしているのに、
その絵はいつも新鮮で、いつまでも曖昧だ。

ケイトが笑いながら、
「ちょっとこれ、読んでみなさいよ」と言った。
戸惑い、苛立ち、自己嫌悪に似た疲労。
「ひどい気分なんだってば」
「いいから、ほら…」
力の入らない指に、ケイトがファックスをさし込んだ。

記者の要約は概ね正しかった。
数行を除いては。

– MTVでのマイクルに対する、「私たちは彼を見捨てた」、
という追悼メッセージには、とても感動しました。
彼に対する罪悪感を、それは我々メディアも含めてということですが、
代弁してくれたようで。
– そう言って貰えると嬉しいわ。ずっと後ろめたかったから、
きちんと一度、言葉にしておきたかったの。

– あのあと、以前マイクルのスピリチュアルアドバイザーだったラビが、
彼のインタビューテープを公表しましたよね。
そのなかで、マイクルがあなたのことを否定的に言っている箇所がありましたけど、
どう思いましたか?
あなたとマイクルの関係は、実際のところどうだったんでしょうか。

– あのテープは気にしてないわ。昔のことよ。
今まで表に出てこなかったのは、マイクルが止めていたからだろうし。
もし何かの間違いで出てしまったとしても、
彼が生きていたら、すぐ電話してきてこう言ったはずよ。
「ごめんよ。あれは僕たち、けんかしたあとだったから」って。

確かに嫉妬はあったわ。
でも、彼に嫉妬しないミュージシャンなんて、いるかしら。
私もまだ若かったから、自分のやりかたを押し付けようとしたこともあった。
二人は何もかも違っていたし、よくけんかもした。
でも似たところもあったわ。頑固で、決して自分を曲げないところ。
私たちはいいライバル、あるいは戦友だったと、
そう彼が思ってくれていたら、光栄なんだけれど。

– あなたがマイクルに恋していて、猛烈にアタックしたのに、
彼にふられたというのは、本当ですか?
– うーん、確かに私、彼のことが好きだった。
だって誰とも似ていないじゃない(笑)。
でも、あれが恋だったかというと、今になるとよくわからない。
いずれにしても、ふったとかふられたとか、そういうことではないのよ。

– 『In the Closet』 で競演する件では、随分話し込んだんじゃないですか?
– ええ、最初は私たちのどちらも、競演にすごく乗り気だったし、
だから私の家で相当突っ込んだ話をした。
そう言えばあのとき、気がついたら夜が明けていたわ。

– では、マイクルと一夜と共にしたんですね?
– 共にしたのは夜だけじゃなくてベッドもよ。
– ワォ……。
– って言ったらどうする?
– もしそれが本当なら、興奮しますね。
いえ、私じゃなくて読者が、って意味ですけど。
– 私たちがあの夜何を話したか、何をしたか、教えてあげてもいいけど、
でもねぇ、それを正確に語る事は不可能だわ。
そのことを、あなたや、このインタビューを読む人が正確に理解することも、
出来ないと思う。

– そんな複雑なことを聞いてるんじゃありません。
ひと言、イエスかノー、それだけでいいんです。
– (笑)なら言うわ。答えは In the Closet よ。

ぽかんと、私は口をあけていた。いつ来たのか、横に座っているケイトが、
「どう?」 と訊いた。
「やられた」
マスコミの手口はよく知っていたはずなのに、
まんまと罠にかかるところだった。

私はMに電話をかけた。
「ナオミよ。寝てた?」
「ベッドのなかだけど、大丈夫よ」
「一人?」
「気にしないで」

私は簡単に記者会見のことを話した。
MはT誌の記者に、思い切り汚い罵り言葉を吐いたあと、
さっぱりした声で言った。
「でもねぇ、これからも、いろんな記事が出てくるわよ。
彼はインポテンツで、精力絶倫で、伝説のバイセクシュアルでって」

「だろうね」
「それにいちいち本気で怒ってたら、ナオミ、あなた身が持たないわよ」
「ほっといてよ。私が怒らなくなったら、おしまいなんだから」
わかってる、そう答える代わりに、私は憎まれ口をたたいた。

「川の表面にはね、色々浮いてくるのよ。
腐った木の葉や、ネズミの死骸や。
だけど、ずっと川の底のほうには、澄んだ水が流れていて、
きれいな色の硬い小石が、黙って、たくさん並んでいるはずじゃない?」

「わかってるって」 今度はちゃんと答えた。
マイクルがどんなセクシュアリティを持っていようが、
そんなことはどうでもいいことだ、
誰とどんな関係を持ったかも、どうでもいい。
彼と親しかった友人や恋人には、
自分の目の前にいたマイクルの姿があるだけだ。
私たちがマイクルと過ごしたときは、
けっして浮かび上がらない、きれいな色の小石にしなければいけない。

「だけど、あの記事はどうよ、特に最後の一行」
「ああ、あれ」

インタビューで、Mはマイクルと同じことをした。
いつもは自分のことをあけすけに語る彼女が、
マイクルのマスコミに対する態度を批判的に見ていたMが、
美味しそうなえさを彼らの鼻先に思わせぶりにちらつかせ、
喰いついてきたその目の前で、ばたんとドアを閉じた。
マイクルに対する、たぶん、友情の証として。

「私もね、もう少し時間がかかるってことよ」
それから不自然に明るい声になった。
「マイクルが私のことで飛ばしたジョークで、好きなのがあるの。
記者に、私とつきあってるのかって訊かれて、こう答えた。
つきあってたけど、別れたんだ。
理由? 彼女、ベッドでへたくそだったから、って」

少しだけ、私は笑った。
「今度パジャマ・パーティーでもしない? たっぷり、聞かせてもらうよ」
「いいわね、でも、20年後くらいにね」

Mの声が、とても柔らかくなった。
「私、自分でも驚いてるの。知らなかったのよ」
「何を?」
「こんなに私、彼を愛していたなんて」
私も…… と答えたあと、そそくさと受話器を置く。
電話口で泣きたくはなかった。

会見で、記者の質問に、私は答えたかった。
撮影前の夜に、私たちが何を話したか、何をしたか。
それから私たちの間に交わされた、たくさんの約束、
その後守られたり、守られなかったりした……。
私は言いたかった。
彼がどんなに素敵な男だったかということを。

だけど私も、クローゼットにしまっておこう。
Mと同じように、まだきれいな小石にすることはできなくても。
教えてなんかやるもんか。誰にも。
ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ……。
お前たちは一生知らない。一生理解しない。
どれほど知ろうとしても、なにもわからない。

そうは言っても、私が一緒に過ごしたマイクルと、
歌や、ステージや、映像の中の彼と、
二人のマイクルのひとつの真実は、どちらにも同じようにあった。
彼はいつも自分の真実を、同じように差し出していた。
そのことをわかっている人は、たくさんいる。
きっとその数は、どんどん増えていく。

窓を開けて、外を眺める。

あの日ロスで、夕方遅くスタジオに戻ったら、
もうオーディションは終わっていた。
片付けをしているスタッフが何人か、部屋を出たり入ったりしてたけど、
その中にはクリスも、ハンバーガーを食べていた男の子もいなかった。
廊下の隅で、全ての人の影が消えていくのを見届け、
それからドアが開いていた、誰もいない部屋に入った。
奥のドアも開いていたから、そこにも入ってみた。

真ん中の窓まで行った。中庭がどう見えるか、確かめたかった。
留め金をはずし、重いガラス戸を上に押し上げた。
庭の真ん中に、窓を見上げている、マイクルがいた。
「ハ~イ」 さきに声をかけてくれたのは、やはり彼だった。
「随分遅いね」

私は窓を閉めるのも忘れて部屋を飛び出し、
エレベータを待つのももどかしく、階段を駆け下りた。
それから中庭に続くドアをあけた。
雨はまだ、糸のように細く、淡く、音もなく降っていた。

「相手役、決まっちゃったよ」
「オーディションを受けたら、私にも可能性、あった?」
「そうだな…… わからないけど」
彼は優しく答えたが、それは私を傷つけないためだった。
「君はLoberian Girl にはぴったりだ。
でも今日のオーディションの曲のタイプとは、少し違うね」

Loberian Girl と聞いて、さっき覚えたスワヒリ語が口をついて出た。
Naku penda piya-naku taka piya-mpenziwe
(ナカペナピヤー ナクタカピヤー ペンザウェー)

彼は驚きの表情をうかべたが、それはすぐに、嬉しそうな笑顔に変った。
「どういう意味なの?」と聞くと、教えてくれた。
「I love you too, I want you too, my love」

Naku penda piya-naku taka piya-mpenziwe
(ナカペナピヤー ナクタカピヤー ペンザウェー)
もう一度ささやくと、彼が小さく歌いだした。

Liberian girl
You know that you came
And you changed my world,
I wait for the day,

歌いながら、彼のからだが自然に動きだしだ。
ゆるやかで心地よいリズムに、私のからだもすぐに揺れ始めた。
雨が私の内側を、濡らしはじめた。

彼の体の動きが、歌だった。震える甘い声が、ダンスだった。
私たちが踊ったのは、ほんの短い時間だったと思う。
遠くから彼を呼ぶ声が聞こえて、
気がついたら、目の前には誰もいなかった。

Liberian girl
You know that you came
And you changed my world,
Just like in the movies,
With two lovers in a scene
And she says,
“Do you love me”
And he says so endlessly
“I love you, Liberian girl”

「帰るわよ」 ケイトが私の背中で言った。
うん…… 生返事で答えると、静かにドアが閉まった。

窓の下、通りのいつもの雑踏には、
薄いグレーのフィルターがかかっている。
闇が訪れる前の、色を失った街。
スクランブル交差点に車の往来が途絶えると、
四方から人の群れが流れ、過ぎ去る。

……そこはアフリカの市場。
穀物袋を肩にのせた半裸の男が、
宣教師のような黒い服をまとった白人の男と、すれ違っていく。
広場の向こうでは、物売りの女たちがおしゃべりに忙しい。
手前のカフェには、50年も前に流行ったような、
白いブラウスを着た観光客が座っている。

豊かにウェーブした長い髪の、褐色の肌を露出させた女が、
カメラに向かってささやく。
Naku penda piya-naku taka piya-mpenziwe
(ナカペナピヤー ナクタカピヤー ペンザウェー)
画面右からクラッパーボードが降りてきて、カチンと、撮影のスタートを告げる。
モノクロだったフィルムが、一瞬にして色を取り戻す。

引いていくカメラ、画面上部に照明の器具。
スタジオの片隅ではダンサーたちが、群舞の練習をしている。
携帯電話を片手にした男は、いったい誰が来るんだろうねと、
笑いながら話している。

バックに、マイクルの声でLiberian Girlが流れ出す。
楽譜を手に、コーラスに声を合わせる女、
踊れって言われたらどうしようと、おどける男、
連れ立って、マイクルのことや、
これから撮影されるフィルムのことを話している、女たちや男たち。

誰が監督なんだい? ひそひそと言葉が交わされる。
視線の先には、スピルバーグと書かれたディレクターズチェアに、
本人が座っている。
皆スタジオに呼び出され、マイクルが現れるのを待っているのだ。

「ヘイ、あれ、マイクルじゃない?」
後姿が似ている男がいる。
「違うよ、バブルスならいるけど」 男が答える。 
スタジオには、マイクルの”親友”、チンパンジーのバブルスまで待機していた。
「きっと変装してるのさ」
ターバンのような包帯で顔を覆った男がいる。
でも彼も、マイクルじゃなかった。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュの続編なんかどうかな、
ジャンピン・ジャック・ジャクソン てタイトルにするのさ」
たわいのないジョークを口にする男。

マイクルが作った 『Liberian Girl』 のショートフィルムは、
ラブストーリーでもダンスナンバーでもなく、
彼を愛し、彼が困難にあったときはいつも、すぐに手を差し伸べた生涯の友、
リズに捧げられたものだった。

スークのセットに集う、彼を待ちわびる人々は、
誰もがスクリーンやステージで目にしたことのある、俳優や歌手だった。
マイクルの友人である彼らは、ノーギャラでこのフィルムに出演した。

その豪華な顔ぶれが、ようやく彼の登場に気付く。
天から、撮影用のクレーンに乗ったカメラと共に、マイクルが降りてくる。
私がよく知っている、イタズラ好きの少年の、
クククと、あの喉を鳴らす笑い声と共に。

窓の外にはネオンがまたたきだし、
街は色を取り戻していた。
ビルのあいだの、マイクルが現れそうな空の一点を、私は見つめる。
彼の笑い声が聞こえないかと、耳をすます。

 

FINE

 

 

 

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