ダンシング・イン・ザ・クローゼット<6>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

   <6>

 

あの日、MVのリハのあと、食事が終わりに近づいても、
私たちはあい変らず撮影やダンスとは関係のない話をしていた。
いやなことがあったとき、仕事が思うようにいかないとき、
気分転換にどんなことをするか、とマイクルが訊いた。

「アイスクリームを死ぬほど食べる」 
そのとき私は、
ふた皿めのチョコレートアイスクリームを、注文したところだった。

「マイクルは?」
「色んなことをするよ。家には面白いゲームがたくさんあるし、
日本のメーカーがプレゼントしてくれたやつとか」
彼は、詳しくゲームの内容を話してくれた。

「あとは、これ」
テーブルの下に置かれた紙袋から、大きな箱を取り出した。
箱にはリボンがかかっていた。

「こっちはおまけ」
もうひとつ小さな箱を、大きな箱の横に並べた。
「私に?」 
「もちろん」
そこに、アイスクリームの皿が運ばれてきた。

「お好きなものから、どうぞ」
おまけと言われた、小さな箱に手を伸ばした。
深紅の包み紙を、びりびりとやぶく。
プレゼントが包まれたきれいな紙を、くしゃくしゃにするのが私は好きだ。

出てきたのは、蓋にカラーストーンを象嵌したジュエリーケースだった。
「心配しないで、ルビーでも、エメラルドでもないから」
そうはいっても、高価なものだとひと目でわかった。
「アンティークなのね」

あまりにきれいで、しばらく見とれていた。
「ありがとう、だけど、なぜ……」 
「この前、久しぶりにショッピングに行ったんだ。
そしたら、友達にあげたら喜ばれそうなのが、いくつかあった。
ところで、アイスクリーム、溶けるよ」

いつの間にか、アイスクリームに対する歪んだ欲望は消えていた。
「よかったら……」 とマイクルのほうに皿を押しやると、
さっきはデザートはいらないと断ったくせに、
彼は私のスプーンを手に取り、食べ始めた。

友達、というマイクルの口から出た言葉が、不思議なことに、
その前に言われた「恋人」という言葉より、
ずっと価値があるようように聞こえた。

「おまけがこんなに凄いんじゃ、こっちを開けるのが怖いよ」
マイクルは、スプーンを舐めながらウィンクして見せた。
「お返しは期待してない」

けれどもその箱には、最初から奇妙なところがあった。
イエローの包装紙に印刷されているのは、
動物たちのイラストや飛行機、そして人形……。
紙を破り、箱を開ける。
現れたのは、色鮮やかなプラスチックでできた、
機関銃をかたどった、大きな水鉄砲だった。

唖然とした。
「なにこれ?」
ククク…… とマイクルは、小さく、喉を鳴らして笑った。

「ごめん、レディーにあげるものじゃなかったね」
皮肉な言葉に、頬をふくらませて抗議した。
つい汚い言葉を吐いてしまう私は、いつも、
レディーはそんな言葉を使わないと、彼にしかられていたのだ。

私は機関銃をつかむと立ち上がり、
目の前のいたずら好きな少年に、狙いを定めた。
彼は反射的に身をかわした。スプーンを持ったまま。
そして声をあげて笑い出した。
「よかった。水は入れてなかったんだ」

マイクルは、気分転換には水鉄砲での対戦が一番だと言った。
私はあきれながらも、幼い日のバスルームを思い出していた。
そこにはいつも、同じような色の、小さな水鉄砲があった。

撮影の前日、最後の仕上げが残されたセットは、
まだ壁が嵌められていない、骨組みだけの部分もあって、
まるで砂漠に突然現れた、蜃気楼のようだった。
左右の親指と人差し指を重ねて長方形を作り、
建物を囲んでみた。

フレームの中では閉じ込められた空が、
セットに少しだけリアリティーを与えていた。
けれども指をはずすと、奥行きを失った白っぽい柱の重なりは、
砂に曝された、動物の骨のように見えた。

木製の古びた農機具の一部も、運び込まれた。
それは明日、牛に引かせて回転させることになっていた。
マイクルは、歯車のように刻みの入った丸い台の上で、
中心の軸や牛につなぐバーを点検し、
ニ三歩ステップ踏んだあと、くるりとスピンした。
「板がでこぼこだ。踊りやすいように、少し削ってもらえるかな」 

彼はセットのあらゆるところを触り、足で踏みしめ、
意見や要求を述べた。
それから、私たちは壁の前や砂の上で軽く踊り、
自分たちのダンスと背景との相性を確かめた。

「マイクル、ナオミ、明日のことだが……」
ハーブが、私たちを呼んだ。
「このビデオを、とびっきりセクシーなものにしたいんだ、わかってるだろう?」
ああ、とマイクルは答え、私も頷いた。

「ダンス以外にも、実際に君たちがセックスしてるようなシーンを、
撮りたいと思っている。あの台の上や、砂の上で。
そのあたりの動きは、アドリブでいい。君たちにまかせる」

「そこまでやる必要があるのかな?」
「ヌードになれとは言わないぜ」
マイクルが笑わなかったので、ハーブは真面目な顔で言い直した。
「必要だ。最終的にどう使うかは、分らない。
だが、ダンスのカットに挿入するのに、
あらゆるシーン、表情、しぐさを撮っておきたい」

「わかった」 マイクルの声に迷いはなかった。
「わかりました」 私も答えた。
「セットの調整は、夕方までに終わるだろう。
君たちはもうホテルに帰って、明日に備えて、ゆっくりしてくれ」

ハーブやスタッフのホテルと、私たちのホテルは同じではなかった。
何台ものトレーラーで乗り付けたスタッフは、
駐車場の関係で別のホテルになった、と聞かされていたが、
これは私とマイクルを二人だけにするために、
ハーブが仕組んだことなのかもしれなかった。

「行こう」
声の調子に、ハーブに答えたときとは違う、陰りのようなものを感じた。
私はデイバックから水鉄砲を取り出した。
休憩時間、マイクルがハーブと話し込んでいる隙に、
ペットボトルからたっぷりと水を注いであった。
すでに車に向かっていた彼の背中に、私は叫んだ。

「ヘイ! マイク!」
振り向いた彼に水を噴射する。

「ずるいぞ、ナオミ」
いつもの、楽しそうなマイクルの声が返ってきた。
「自分だけ武器をもって、素手の僕を襲うなんて……」
「喉かわいてるでしょ。肌もかさかさ。だから、
これでもくらえっ!」

今夜、彼は私を誘うだろう。
明日の打ち合わせに。
予行演習に……。

逃げる彼を、私は追いまわした。

甦る記憶を振り払うために、
DVDを並べた棚の、一番右端にある『Ghost』を手に取る。
マイクルのショートフィルムの中で、一番好きなもの。

原案はスティーブン・キング、96年の作品だ。
『スリラー』を超えることを目指して作られ、
なのに、限定発売だったためか、その後手に入らなくなり、
今ではほとんど触れられることのない、幻のフィルム。

40分、私は何もかも忘れ、画面に見入った。
マイクルの美しさにため息をもらし、悲しいセリフに嘆き、怒り、
信じられないくらいパワフルで、優美で、
時にはコミカルなダンスに、酔い、笑った。

このフィルムが『スリラー』を超えているのは、
長さ、ダンス、特殊メイク、
そして何よりそのメッセージ性で、だった。

お化け屋敷のような館に住むマエストロ(マイクル)は、
村人をひきつれてやってきた白人男メイヤーから、こう脅される。
「おまえはお化け好きの変人だ、おまえは普通じゃない、
この村からとっとと出て行け。
サーカスに帰れ!」と。

この言葉は、現実の彼にぶつけられたものだと、私たちは知っている。
そのために、このフィルムを自虐的な作品だと言う人もいるが、
私はそうは思わない。

メイヤー以外の村人たちは、最初、
マエストロが呼び出した”バケモノ”たちを怖れるが、
彼らの超人的なダンスにひきつけられてもいく。
恐怖の表情がやがて喜びに輝きだす。
最後には、リズムに合わせて、からだが勝手に踊り出している。

やがてマエストロは、自分を”バケモノ”と呼ぶメイヤーの中にこそ、
ゴーストがいることを明かしてみせる。
しかも、「どっちが変? どっちがバケモノ?」 と問うやりかたは、
アソビ心に溢れている。

メイヤーの中にマエストロが入り込むシーンのあとの、
このビール腹の中年男のダンスが、私は大好きだ。
彼は、音楽に合わせてからだが動いてしまうのに抵抗しながらも、
やがてマエストロ顔負けに踊りまくる。

マイクルはこの作品で、一人5役をこなした。
本編の後、特殊メイクの様子やバックステージが映し出され、
彼が誰に扮したかが明かされる。
私たちは驚く。えっ? あれもマイクルだったの? と。
そしてもう一度、彼の踊りを見たくなる。

このときの彼は今の私と同じ歳なのに、
こんなに挑戦的で、こんなにはじけていた。
自分が陥れられた状況を悲しみ、怒りながら、それらを、
こんなに楽しめる、魅力的な作品に変えていた。

私はもうひとつのお気に入り、
『Blood on the Dancefloor』を、トレイに乗せる。
97年に出たこの曲こそ、奇妙な、評価の分かれる作品だ。

マイクルは、『In the Closet』とは違ってきれいにメイクし、
砂漠の陽射しの下ではなくダンスフロアで、
たくさんのダンサーたちに囲まれている。

飛び出しナイフを隠し持つ女スージーは、
マイクルの座るテーブルの上に乗り、身をくねらせて踊り、彼を誘う。
ほっそりとした褐色の脚を彼はなであげる。
フロアで、二人は激しく踊る。

マイクルはコーラスと共に、
『スージーは君の電話番号を知ってる
だけど彼女は君の友達じゃない』 と、くりかえし歌う。
最後のシーンは、壁に突き刺さるナイフ。

誘う女に答える男という図式は、『In the Closet』と同じだ。
だが、曲調はずっと緊張感を帯び、ラストショットは悲劇を示唆している。

この歌は、様々なものの暗喩だと言われた。
レコード会社との確執や、裏切られた愛、そしてもちろんマスコミ批判、
あるいは、ドラッグに対する警鐘だ、という声もある。
私はここに、彼が一つの作品に込めた、二重三重の意味を見る。

ダンスフロアに咲く大輪のバラのように、
血の色のシャツとスーツをまとったマイクルと、
同じ色のドレスで踊るスージーは、鋭いとげで相手を傷つけながら、
それでもなお求めあう、二匹のしなやかな獣のようだ。

そこには、否定と肯定、怒りと喜びが混じり合っている。
相反するものを、どうしてこれほど美しい音楽と映像に、
まとめあげることが出来るのだろう。

私は彼が、つらい事件や苦しいときを経て、そこから得たものを、
一層深く歌やフィルムに塗りこめていたことに、言葉を失う。

『Ghost』 でも分るように、マイクルは進化していた。
全てのものを糧に、作品を育てあげていた。
ハラスメントに近い報道や、詐欺でもある事件は、彼を傷つけ、痛めつけたけど、
同時に、彼の魅力に複雑な陰影を与えた。
私は彼の怒りや悲しみに心をゆさぶられ、
それを笑いや美に変える力に、今さらながら強く打たれた。

歯切れのよいフレーズが、繰り返し流れている。
Susie got your number
And Susie ain’t your friend

リピートするコーラスに目を閉じ、ソファーに身を沈める。
スージーは、友達じゃない
スージーは、友達じゃない

うずうずと、痛む部分がある。
なのにからだが、肩や腰が、勝手に踊り出す。
じっとしていられず、私は立ち上がり、部屋の中を動き回った。
そして受話器をとり、ケイトを呼び出した。

「私よ」
「だれ? ああ、ナオミなの。
うるさくてよく聞こえない。
とにかく、バックのボリューム、落としてくれる」
言われて私は、あわててリモコンを探し、ミュートボタンを押した。

「どうしたの。とにかく手短かに頼むわ。今オーブンで……」
「決めた。和解、するよ」
オ~ケ~イ……。 ケイトは歌うような抑揚をつけて答えた。
「よく、決心したわね」
「引退も撤回する」

「それは今さら言わなくても」
「いや、ちゃんと記者会見で言いたい。
あともうひとつ、オフィスに新しいセクションを作ってほしい。
思いついたことがあって。
これ、和解の条件だからね」

「ちょ、ちょっと待って。
新しいセクションてなによ、なぜそれが和解の条件なの」
「だから、あの裁判のことを……」
「あの裁判? わかった、今そっちに行く。
もうすぐラムチョップが焼きあがるから、それ、持ってく。
ワインはあるよね」

私はテーブルの上の、
二人で飲もうと婚約者から届けられたボルドーの包みを、
音をたてて破る。
そしてDVDのボリュームを、元に戻す。

 

 

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