ダンシング・イン・ザ・クローゼット<3>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

   <3>

 

スタジオで、練習を重ねた日のことも、甦ってきた。
最初は振り付け師のビルの指導で、代役のダンサーと一緒に踊った。
音楽に合わせてどうからだを動かすのか、パートパートの振りを叩き込まれた。
何回目だったか、ビルが言った。
これでテクニックは完璧だ。あとは感情を入れていく。
この日から、監督のハーブと、マイクルも出てきてた。

ストリングスとピアノの静かなイントロが流れ、そこに女のささやきがかぶさる。
あなたといると、がまん出来なくなる。
触ってほしいの。
私たちの愛を、隠さないで。

唐突に、繊細なメロディを遮断して、ドラムスが打ち込まれる。
リズムがミディアムテンポを刻み始めるそのタイミングで、
私たちも一気に、ダンスを音に乗せなければいけない。
私が半回転してマイクルの斜め後ろに入り込むと、彼は、
一瞬肩越しに私の位置を確認し、伏せた視線のまま、
私とぴったり重なるよう、すっと右に一歩からだを寄せる。
彼の腰に抱きかかえるように両手を沿え、
私は下半身を、彼のグラインドする腰の動きに沿わせ…

合わなかった。
代役のダンサーとはぴったり合ってたのに、自分の動きが妙にぎこちなく感じられた。
すぐに彼が踊るのを止めた。
ごめんなさい、私、遅れちゃって。
いいんだよ、リズムに無理に合わせようとしなくても。
そう言って彼は、一人で、音楽も無しにそのパートを踊って見せた。
小さな声で、メロディを口ずさみながら。

動きの切れが、全く違った。
プロのダンサーの踊りは完成されてて、破綻がなくて、均一だった。
テクニックでは上だったかもしれない。
だけど彼のシャープなきらめきは、全然なかった。
決定的に違うのは、リズムを刻む動きの自然さと、決めのポーズの完璧さ。
からだがリズムに乗っているのではなく、からだの動きがリズムを作ってる……、
そう気付いて愕然とした。

音楽を、耳で聴いちゃだめなんだ。わかるかな。
踊るときは耳や頭のことは忘れて、からだ全体で歌うんだ、
つまり、からだを音楽に反応させるんじゃなくて、自分のからだで音楽を奏でるんだよ。
彼の肉体は、生まれ落ちたときから、そうして歌ってきたのだろう。

– もう少し、撮影のことを訊きたいな。
記者が言った。
練習や打ち合わせやリハーサルや、そういったことに興味はなさそうだ。

– いいけど……。
– MVのメイキングを見ると、かなりきわどいシーンも撮ってたみたいだね。
どのシーンでも、マイクルも君も、とてもエロティックに踊っている。
ああいう動きに違和感はなかった?
– 不安は彼と何度か会って話すうちに消えてたし、
最初は恥ずかしい気持ちもあったけど、
プロ集団のなかにいれば、恥ずかしがるほうが恥ずかしいことだって、
すぐに思い知った。

– メイキングで君はマイクルのことを、とてもスウィートで、でもシャイだと言っているね。
シャイな彼も、あの踊りや、その、砂の上で君が騎上位でからまってるのなんかも、
平気で撮らせたのかな。
– ああ、だってセクシュアルなエモーションを表現するのがMVのテーマなわけだし、
色んなカットを撮った。キスシーンとか。
それにカメラが回りだしたら、誰がシャイよ、ってくらい、彼、大胆で。

– 楽しんでた?
– えっ? 
– そういうシーンを、楽しんでたかな、彼と、君もだけど。
– さあ、いつも彼、楽しそうだったから。踊ってるとき、歌ってるとき、演技してるときも。
それが皆に伝染して、スタッフも、もちろん私も、撮影の間中とっても楽しかった。
あと、あの空間も、気持ちよかった。
砂漠の、開放的な広い空の下で踊ってると、カメラもスタッフの視線も忘れちゃうくらい。
自分でも驚くほどのびのびと、からだが自然に動いて、
マイクルの魔法にかかったみたいだった。

– 最初に彼に会ったとき、君は…
質問の途中で記者の携帯が振動した。
電話番号を確認すると、編集長だ、少し失礼するよと席をたった。

私は記憶の中の砂漠に、マイクルと二人残された。
切れ切れに、たくさん踊った。一人で踊るシーンもかなり撮った。
彼の視線が、私のからだが音楽を奏でるときには、伴奏をしてくれた。
二人で踊るときも、音楽はからだの動きの中にあった。

そこまで踊れるようになるには、随分時間がかかった。
スタジオリハだけじゃ足りなくて、私は家でも踊り続けた。
一度リハのあとに、彼が食事に誘ってくれたことがあった。
敏感な彼は、私がその日の出来に納得してないのに、気づいてた。
なのにダンスの話は、全然しなかった。

なぜモデルの仕事を始めたの?
スカウトされたのよ。
この仕事、気に入ってる?
天職だと思う。だけどもっと他のこともやってみたい。
たとえば?
映画でしょ、歌や、あと…
あと? 
小説も書きたい。

彼は色んなことを知りたがった。
ボーイフレンドはいる?
これまで何人くらいとつきあった?
今の彼と、うまくいってる?
その前のボーイフレンドと別れたのはなぜ?

お母さんの国、ジャマイカにはよく行くの?
イギリスとどっちが好き?
もしこの仕事が終わってバカンスが取れたら、どこで過ごしたい?

私はこのとき、早い時期にメークの女性から言われたことを、思い出した。
マイクルを誘惑したりしないでね、前にそういう女の子がいて困ったの。
彼も最初はまんざらじゃなかったと思うけど、そのうち彼女どんどんエスカレートして。
MVの相手役に、200人のオーディションから選ばれたコで、
それも彼がひと目見て決めたのよ。MVのあとステージにも出るようになって、
だから錯覚したのかもしれないけど。
でもベッドインのことしか考えてないようじゃあね、そりゃ彼は引くわよ。
で、どうなったの?
結局クビになったわ。

私のまわりにいる男たちは、隙あれば女のベッドにもぐりこもうとするやつばかりで、
女から迫られて断るなんて、考えもしないだろう。
この世にマイクルみたいな男がいるなんて、
うそでしょうそれ、というのが正直な感想で、
次に、で、そういうあんたは彼の過保護な母親? と内心毒づいて、そのまま忘れてたこと。

そこは一般客用とは別に、VIP用の目立たない出入り口がある高級レストランで、
奥まった個室で二人だけで食事した。
外にはボディガードが待機してたのか、他のスタッフも別室にいたのか、
そもそもリハのあと、いつもハーブが一緒だったのに、
なぜあの時は二人だけだったのか、
20年近く前のことは細部がおぼろだ。

撮影が終わるまで、私、
ボーイフレンドのこと、忘れてもいいかな。
マイクルは少し困ったような顔をした。
彼はやきもち、やかない?
さっきはつきあってるのがいるって言ったけど、あれはうそ。
ほんとはね、別れたばっかり。で、今は誰もいないんだ。
こっちのほうが、うそだった。
毎晩電話してくる、それこそベッドインのことしか考えてないような男と、つきあってた。
少しうんざりしながら。

ならいいよ。僕たちは踊ってるときだけじゃなくて、ずっと、恋人だ。
彼の答えは冗談が半分、仕事に役立てようというのが半分、たぶんそんなところだった。
撮影が終わるまで、ね。付け加えなくてもいいようなことを私は言った。
彼を安心させ、自分の気持ちを偽るために。
それからメークの女性に対する言い訳として。
誰も知らない、たわいのない、その場限りの会話。
少し飲みすぎた、ワインのせいのような口ぶりで。

記者が戻ってきた。
– えーと、何の話だったかな、そうだ、
最初に彼に会ったとき、女性的な印象を持ったと言ったね。
– そうじゃない、遠くから見たメークや髪型で、一瞬そんなふうに見えただけ。

– でも男性とはひと目ではわからなかった。
一方In the Closet は、彼の男っぽさを前面に出そうとしている。
ステージでも、あの”股間ダンス”や、シャツを引き裂いて肌を露出させたり、
そういったセクシュアルなパフォーマンスが彼は得意だが、
オフステージでの彼のイメージは、ある意味女性的だ。
最初に君が感じた二人のマイクルがそこにいるわけだけど、それはどうなのかな?

– 私が感じた二人のマイクルは、男性か女性かというものじゃない。
彼を女性的と思ったことは一度もないし、
撮影のあいだじゅうも、とてもナチュラルな男性だと感じてた。
– 男性としてノーマルだと?
– ノーマルな男性ってどういうのよ?
– それはまあ、一般的に言って、なんというか、ジェンダーの揺らぎがないというか……。
– 彼はとてもニュートラルな男性だと思った。
世間一般の”らしさ”にとらわれない、自然な、さっきはナチュラルって言ったけど、
スポンタニアス(生まれたままの)って感じかな。

– メークや整形で作りこんだイメージがスポンタニアス?
– 実際にマイクルに会ったことは? 
– いや。
– 会えばわかるけど、いや、会ってもわかんないやつもいるみたいだけど、
とにかく彼には、外観や装いで覆いきれないものがある。
子供が男の子か女の子かわかんない時期があるでしょ、
まだ社会がジェンダーを押し付ける前の。
そういったスポンタニアスな魂を、彼は持ってるってことだと思う。

さりげなく壁の時計に目をやりながら、記者が言った。
– 最後にひとつだけ聞かせてほしい。彼の外観の変化についてはどう思う?

うんざりする質問だった。
– 友達には胸を膨らませてるのもいるし、
皺を伸ばしたり、あごを削ったり、色々やってる。
行き過ぎたダイエットで拒食症になるなんてざら。
みんな理想とする姿に向かって、自分の形を変えてく。
あんたはこういう女たちについて、同じ質問をする?
– それとこれとは、話が違うと思うが。

– 違わない。もし女だったら、モデルじゃなくても、外観や容姿の変化は、
ありふれた女の望みと涙ぐましい努力ってことで、問題にもしないでしょうが。
– だが彼の場合は、かなり劇的な変化なわけで…。
– もうひとつ。もし白人が肌をこんがり焼いても、同じようにあんた、
彼は白人であるアイデンティティーを喪失してるとか、
自己嫌悪が自己破壊に至ったとか、そういうこと言う?

私が怒りを抑えることが出来たのは、この質問を予想していたからだ。
とどめのセリフも用意していた。
– それとも、黒人には、髪を自分の好きな色に染めたり、縮らせたり、伸ばしたり、
好きな色のファンデーションでメークしたり、
そうやって装いや外観を自由にアレンジすることは、許されないってこと?
あくまで黒人とわかるようにしてなきゃ、いけないってこと?
– そんなこと、言ってるわけじゃないよ。
ただ、黒人の間からも、自分たちのブラックネスを否定されてるようだと、批判も出てる。
最も肌の色については、皮膚の病気が原因ということらしいが。

私の剣幕に、記者はしらけた表情を浮かべたが、勢いづいた私はさらに続けた。
– いい? そもそも自分の肉体が商品だと知ってれば、プロはどんなことでもする。
完ぺき主義者であれば、常人には考えられないことまでやってのける。
それに個人的な意見を言わせてもらえば、
彼のイメージづくりは、成功したと思う。
– ある程度まではそうだった。だがそれが次第に逸脱していったと、
多くの人は感じている。だが君は違うと言うわけだね。

そう、と私が頷くと、記者はそこでレコーダーのスイッチを切った。
– 編集長からお呼びがかかったんでね、このへんで切り上げさせてもらうよ。

記者が帰っていったあと、私はコーヒーをビールに変え、
言い足りなかったことを胸のうちでつぶやいていた。

そうだ、彼は誰とも違うマイクル、二度と、二人と現れないマイクルを、作り上げた。
分りやすそうでいて複雑な、シンプルなのに曖昧な、
固定的なのに境界線をたやすく行き来する、
これまでの枠に納めることなど不可能な、マイクルというイメージ。
そのためには怪我も、事故も、病気すら、利用して。

彼はどんなことも、やると決めたら徹底的にやる人だった。
世間の常識や、多くの人が考える限度を超えて。
その道をふさぐ障害は、色々あっただろう。
告訴や裁判や、マスコミ報道なんかが与えるストレスは、
想像を絶するくらい大きかったに違いない。
それから、あと一年で40歳を迎える今になって、私も思い知るようになった、加齢……。

だけど彼は、自分の選んだ道を、まっすぐ、迷わず歩いた。
理解されなかろうと、揶揄されようと、まっすぐに。

 

 

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