ダンシング・イン・ザ・クローゼット<2>


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この物語は、マイケル・ジャクソンの「リベリアン・ガール」と「イン・ザ・クローゼット」に触発されて出来たものです。ノン・フィクションの部分も取り入れていますが、あくまでフィクションです。


 
 

  

 

– 夢は叶ったのかな。
– ある意味ね。
– In the Closetにも、オーディションがあった?
– ううん、オファーがあった。直接彼から。
やあ、ナオミ、ぼくだよ、マイクル。
初めて電話をかけてきたのに、ふるい友達みたいな口調で。
– じゃあ、5年前の電話番号を、彼はとっておいたわけだ。
– まさか。あれから番号は何度も変わってるし。
 
記者の体が、少し前かがみになった。
チラリとレコーダーに目をやり、作動しているのを確認する。
– あの曲は『デンジャラス』に入ってるけど、事前に知ってた?
– もちろん、あのアルバムは毎日のように聴いてたから。
– 彼にしてはセクシュアルないい曲なのに、残念ながら曲そのものより、
別の意味で話題になったってしまったね。
– セクシュアルと言うより、まずタイトルで、とても人を喰ってると思った。
ある人たちは、stay in the closet、
つまり、同性愛であることを秘密にしてるって受け取るだろうし。
 
核心に触れた答えだったのだろう。記者の頬がゆるんだ。
– ローリングストーン誌は「非常に性的で刺激的なタイトルだ」と指摘し、
ニュヨークタイムズは、
「このタイトルが、ヘテロセクシュアルなラブソングを意味すると考えているのは、
マイクルだけだ」と書いた。僕もよく覚えている。
 
– タイトルには同性愛的なニュアンスを持たせ、
でも内容ははっきりとヘテロセクシュアルでしょ。
誘う女に、応える男、歌詞はそういうかけあいになってる。
しかも歌詞の中では女が、ドアを開けて、オープンにして、とささやくのに、
秘密は明かされるどころか、
僕がなにを言おうが、僕たちが何をしようが、これからは二人だけの秘密だよって。
そして最後に、ばたんとドアが閉じられる。
 
記者は嬉しそうに目を細めた。
– 君はこの曲に、奇妙な感じを持ったわけだ。他にはどんな感想を?
– 二つの意味にとれると思った。
まず、そんなのはどうでもいいことだろう、
パーソナルな、プライベートなことだから、秘密にしておくよ、という意味。
もうひとつは、ヘテロであるからこそ、あえて挑発的なタイトルをつけたこんな曲も出せる、
というメッセージ。
彼がすごいのは、ストーカーのファンを題材にした曲や、
こんな、マスコミや世間があれこれ詮索してるゴシップに、
真正面から答えるような曲をつくってしまうこと。
– 真正面から答えているとは言えないと思うが。
 
マイクルはアルバム作りでも、ビデオクリップでも、プロモーションでも、
優秀なパートナーに恵まれた。
ではメディア戦略においてはどうだったのか。
 
記者が言うように、メディアと私たちは共存関係にある。
メディアがなければ、私たちは存在できない。
だけどメディアは、たやすく敵にもなる。
マイクルは敵を、私のように殴ったりはしなかった。
ただ歌で、映像で、戸惑いや怒りを語った。
 
それは熱狂的なファンに対しても同じだった。
彼はファンを愛し、とても大事にしたけど、
同時に、ストーカーまがいのファンを拒絶する歌をつくり、
ミュージシャンを追っかけて、ベッドにもぐりこもうとするグルービーを、
薄汚い女と、ののしる歌さえ作った。
 
ステージでこれらの曲を彼が歌うとき、
歓喜に酔い痴れ、コーラスに声を合わせるファンの姿を見て、
私はいつも不思議に思った。
彼女たちが、この曲は自分たちに向けられたものじゃないと、
なぜあれほど確信を持っていられるんだろうって。
 
私たちを取り巻くメディアの、どこまでが味方でどこからが敵なのか、
それを見分けることは出来ない。
メディアの向こうにいるファンも、どこまでが節度あるファンで、
どこからがストーカーなのかも。
ファンと、その向こうにいる、好奇や偏見や悪意を爆弾のようにかかえた大衆との境も、
同じように明快じゃない。
 
あいまいなメディアや大衆に向かって、心のうちを吐き出すのに、
彼は唯一自分が持っている手段を使った。
ファンはそれを受け入れた。だけどメディアや大衆は、どうだったのか。
黙っている私に、記者が続けた。
 
– 次のアルバムでは、マスコミ、特にタブロイドを名指しで批判してるけど、
ここで歌われているのは、そんなあからさまなものではない。
– まあね、この頃は、控えめに言ってもわかってくれると、まだ、思ってたんじゃない?
– 93年の少年の告発によって、それは露骨で敵対的なものに変ったということかな。
 
彼が、より率直に思いを伝えよるようになったきっかけが、
あの事件であることは間違いない。だけど……
 
– だけどその前にも、『Black or White』のビデオクリップみたいに、
アメリカじゃ放映された直後に、TV局が放映は間違いだったって声明を出すくらい、
過激なシーンもあった。
– 曲が終わったあとの部分で、ハーケンクロイツや、
KKKの文字が書かれた窓を破壊してまわるシーン、それと、
股間に手を当てて激しく腰をグラインドさせたあとで、ジッパーを引き上げるシーンが、
暴力とセックスを想起させる、と批判されたね。
 
– でも彼はすぐに、このビデオの最後の部分が、
見る人に痛みを与えたとしたら申し訳ない、
そんなつもりはなかったんだって、メッセージを出した。
– そのくせ、デンジャラスのショートフィルムコレクションには、
フルバージョンで入れている。
この点についてはどう思う?
 
『Black or White』のビデオ収録が終わったスタジオから、問題のシーンは始まる。
引いていくカメラがパンして、機材の陰からあわられた一匹の黒豹を捉える。
ひと気のないストリートに出た黒豹は、マイクルに変身し、
鋭い叫び声をあげ、車の窓を叩き割る。建物の窓を、看板を、次つぎに破壊していく。
聞こえてくる音は、心地よいメロディではなく、ガラスの砕け散る音、
路面にたたきつけられる靴音、言葉になる以前の、怒りを爆発させた、
快感を帯びた、激しいあえぎ声と雄たけび。
そこに荒々しいステップが挟まれる。
マイクルのスピード感溢れるステップは、ひび割れたアスファルトの上、
風で吹き飛ばされてきた、しわくちゃの新聞を足蹴にする。
 
あれは、確信犯だ。
たとえ放送ではカットされようと、たとえ非難を浴びようと、
マイクルはあのシーンを、どうしても撮りたかった。
ひとつのメッセージとして、どうしても皆の目の前に、たたきつけたかった。
けれどもそのメッセージは、今となっては、
あまりに直截的で、あまりにナイーブに見える。
 
私は返事の代わりに、少年の告訴騒ぎのあと彼が作った、
『Tabroid Junkie』を口ずさむ。
 
「おまえはペンで人を拷問にかける
キリストを磔にする
読む価値もないのに、買う必要もないのに
 
みんながゴシップ記事を、ニュースを欲しがるから
それを事実にしちゃいけないのに
彼のことをホモセクシャルだと言う」

記者もしっているはずの続きは、こうだ。
 
「それを真実と、思っちゃいけない
やつらは彼を罠にかけることも、
非難で撃ち殺すことも望みのまま
 
死ねば同情くらいはされるだろう
暗闇で、僕は後ろから刺される
眼の前で嘘をつかれ、辱めを受ける
 
ニュースのために、栄光も
『ヘロインとマリリン』ってヘッドラインになる
 “ブラック アンド ホワイト”に寄生する
おまえたちの中傷の言葉で」
 
私はただ、肩をすくめてみせる。
 
記者は表情を変えなかったが、明らかに、この話題に執着していた。
ここから、In the closet のMVを出した翌年の、少年への性的虐待疑惑と、
その10年後の、同じ罪による、結局は無罪判決を勝ち取ることになる逮捕と裁判、
それらのことにまで、話を持っていきたいのだろう。
 
マイクルは最初の告訴の前から、すでに、
偏見や差別や、今まで見たことのないものの姿は異形だと決め付け、
排除しようとする人々に、苛立ち、傷つき、怒りを抱えていた。
告訴が和解で終わったあと、それらはより “露骨で敵対的”な曲で表現されるようになった。
けれどもあの頃のバトルは、
二度目に彼を襲った暴力的で集団的な悪意の塊との対決に比べれば、
まだ可愛いものだった。
 
もし私が同じような目にあったら、呪詛と憎悪で、死ぬほど苦しんだに違いない。
激しい怒りと絶望に我を忘れ、きっと酷いことをしでかしていただろう。
誰かを殴るくらいで、気がすむようなレベルではない。
ある人々にとっては語りつくされた、
でも私にとっては、痛ましさと憤りを抑えることのできないこれらの話を、
このような場で安易に語ることは、不可能だった。
 
– つまり、告訴騒ぎの前とあとでは……。
– 悪いけど、私と関係ある話だけにしてくれる?
– わかった……。
ではIn the closetのMVに戻ろう。
あれは、セクシュアルなイメージをかなり強く打ち出した仕上がりだね。
– 同じ年に出た、Mの写真集のこと、覚えてる? 
テーマはSEX、誘われて少し顔を出したけど、
彼女の影にかくれて、私のことはすぐに忘れられた。
あの作品は、秘密にするどころか、全てをさらけ出してやろうという意欲作。
過激で挑戦的で。
 
– ああ、衝撃を受けたよ。
– でも、ある意味ステレオタイプでしょ。ゲイやレズビアンやSMって。
あれだけ強烈に剥き出しにされると、かえって、人はマユをひそめることすら忘れちゃう。
そして隅々までMを見たぞって、これで全部彼女のことがわかったぞって、錯覚する。
それがMのねらいなのに。
– 何を言いたいのかな?
– In the ClosetのMVの相手役に、最初Mが上がってたのは、知ってる?
マイクルは、セクシーさが売りのMとからんで、とびっきりセクシーなMVを、
自分の真のsexual orientation(性志向)を隠すために作ろうとしたって。
 
– 有名な話だからね。
だが、マイクルの曲にMが書いた詩が過激すぎて、彼が断ったとか。
– 秘密にしようという詩の内容が気に入らなくて、
こんなMVに私が出るわけないじゃないのって、
そうMが断ったって話も聞いたけど。
– どっちが本当? いや本当だと思う?
– どっちでもいい話よ。おかげで私のところに相手役がまわってきた。
– つまり君が言いたいのは、
– べつに何を言いたいわけでもない。
ただ、監督のハーブが、撮影のあと言ってたことを思い出しただけ。
 
私は思い出していた。
このMVの彼のセクシーさは、決して色あせない。
そういうものを作りたかったんだ。
シンプルで、ストレートで、ノーブルで、何度も味わいたくなるような美、だ。
ハーブはそう言った。
それから撮影に入る前、私が、舞台となる砂漠や強烈な太陽は、
秘密にしようという詩にそぐわない気がする、と言ったら、にやりと笑われたことも。
 
乾いた空気と陽射しの下だから、際立つものがある。
彫像のような肢体、エッジの効いた動き、露出した肌に光る汗、派手なメークはなし。
ただポーズを決めるだけで絵になる男の肉体が、
群舞ではなくソロで、目を奪われるような動きで踊るんだ。
そこに伸びやかで、引き締まった、野性味溢れる君のブロンズの肌が絡む。
 
背景は太陽を跳ね返す白い壁と、強烈な陽射しが落とす濃い影。
その交差のなかで欲望はむき出しになり、また隠される。
光りと影、砂と風が、欲望を浄化する。
 
このMVのマイクルの姿は、これまでの彼の女性ファンだけでなく、
違う種類の女たちも魅了するはずだ。
そして男も、彼の姿に惹かれるだろう。だがそれは君にも言える。
男たちの気を惹くだけの、受身な、なよなよした女はいらないんだ。
女もほれぼれするような凛々しい肉体を見せつけてくれ。
 
それからこうも言った。
マイクルのアンビバレントな美しさに対抗できる相手が果たしているのか、
心もとなかった。最初名前が挙がったMは、
はっきり言って僕の求めているイメージとは違った。
あまりに人工的だ。とにかくもっとワイルドで、
プリミティブな野生の肉体が欲しかった。
そしたら彼が、一人いるよ、Liberian Girl がねと、君の名前を出したんだ。
 
– ハーブはなんて言ってた?
– このMVは古くならない、色あせない、
マイクルの頂点のひとつの証になるだろうって。
ただしそれは、すぐには理解されないかもしれない。
いずれにしろ、無垢なまなざしを持ち合わせていない人たちには、
自分の見たい物しか見えないんだけどね、って。

 

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