ある晴れた日に、永遠が見える… 7

posted in: ある晴れた日に永遠が見える | 0 | 2013/7/25

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寝室のドアを開けるのが、ためらわれる。
出口が他にあるわけがないのに、カナは部屋を見回してみた。
しかしもしあったとして、私は裏口からこそこそ帰るだろうか?
そんなことを、私はしない。

カナはドアを開けた。
ジャヌはソファーに座り、開いたスケッチブックに見入っていたが、カナを見るとやさしく微笑んだ。

「よかった…」 
「えっ?」
「服を着てきてくれて。
君が裸でまた僕を誘ったら、次は自分を抑える自信はなかった…」
「それって、ばかな女に対するいたわりなの?
だとしたらありがとうって言うべきかしら…」

カナの言葉に、ジャヌの表情が曇った。
「君を傷つけるつもりはなかった…」

そうではない。傷ついてなどいない。
どのみち自分のしたことなのだ。
ジャヌを責めるのはおかしい。

「あなたは悪くない。でも…」
「でも?」
「いいのよ。それより何か飲み物が欲しいわ。」
飛行機の中でコーラを飲んだきりだったので、カナは激しい喉の渇きを覚えていた。

「何がいい?ビールにオレンジジュース、ミルク、コーヒーや紅茶も入れられるよ。」
「エスタテのペスカ味はない?」
そんなものあるわけない、いったいどんな代物なのかと訊かれ、
甘いアイスティーに桃の果汁を加えた、イタリアの夏の定番の飲み物だと説明する。
エスタテは商品名で、バールで頼むときはテ・フレッド・アッラ・ペスカだ。

結局カナはオレンジジュースを発泡性のミネラルウォーターで割ってくれと頼んだ。
さっぱりして美味しい、ノンアルコールミモザだねと、ジャヌも同じものを口にしている。

「僕は悪くないと言いながら、君は不満そうだね。」
ジャヌが話を引き戻した。
「僕は、君が望むものを与えなかった?
あれじゃ足りない? もっと欲しい?」

カナは唇を噛んだ。
だがジャヌの声には揶揄するような響きも、あざけりの色もない。

「ええ、あれは私が望んだものじゃなかった。足りないわ。全然足りない。」
思いつめてしたことが予想もしない展開となって、カナはまだ少し自失していた。
ジャヌがぶつけてくる問いに赤はだかな気持ちのまま答えてしまう。

「でも…」
「またでも?」

「ジャヌ、あなたずるくない?」 思い切ってカナは言った。
「なにが?」
「あなたって、心のなかでドアを閉ざして、女をシャットアウトする男だと思ってた。
でもそうではなくて、女の前で、入り口で、いつもためらって入らない男だった… 卑怯だわ。」

「卑怯? 僕が?」
「そうよ、そう思うわ。」
「僕がいつもの君のやり方に乗らない男だからって、そんなに責めることはないだろう。」

いつものやり方?いいえ、違う、こんなことするのは初めてだ。
だがそう言ったとして、ジャヌは私の言葉を信じるだろうか。

「あなただっていつも乗らないわけじゃ…」
言ったとたん、カナは後悔した。今ここで、アンのことを口にするべきではなかった。
ジャヌの柔らかな微笑みが一瞬にして消え、代わりに冷ややか笑みが浮かんだ。

「なるほど。じゃ君は僕が、女が裸で誘えば喜んですぐにその気になる男だと思ったわけだ…」
その声の冷たさ、その固さ、その…悲しみを含んだ怒りに、カナは返事に詰まった。
ジャヌの言葉が、頭の中で回転しはじめる。
彼は何を言っているのだ・・・

ではジャヌは、あの日、アンの誘いに乗っていないと言うのか…
あのあと、中華料理屋で、ジャヌは私になんと言ったのか、
私のことを何と言って非難したのだったか…

アンのことを確かめたい。
アンとは寝ていないと言って欲しい。
アンがパオロと別れたのは自分のせいではないと、言って欲しい。

「あるいはそれほど、自分に自信があるってことかな。」 
ジャヌはカナの混乱に気づかずに立ち上がり、開け放たれていた窓まで歩いていく。
遠ざかっていくその広い背中を、答えを探すようにカナは凝視した。

窓際でジャヌは振り向き、窓枠にもたれて言った。
「君のやり方について、これ以上なにも言うつもりはない。
白状すると、充分その気にさせられたよ。
なのに何故、僕は君を最後まで抱かなかったのか…」 
カナは先ほどの疑問がのどから飛び出しそうになるのを押さえ、黙って先を促す。

「君は大胆で、潔く、恐ろしいくらい無防備で、そして激しい。
どれをとっても僕の好みだ。
たった一度だって? しかも時間をかけたくないって?
悪いけれど、君が勝手に決めたルールに乗るつもりも、あっさり降参するつもりもないよ。」

ジャヌは視線をカナに定めたまま、唇の端だけでうっすらと笑った。
「それに僕が本気で君を抱いたら、時間はたっぷりかかる。」
ひたと見つめられ、愛撫のようにぶつけられた言葉に、カナは軽いめまいを覚えた。

「これほどが僕がまんしたんだから、君だって少しぐらいがまんしてもいいだろう?
大事な一回ならなおのこと、ゆっくり時間を取れるときにしよう。」
嬉しそうに、面白そうにジャヌがカナを見る。
せっかく手に入れたものを、そう簡単に手放してたまるかと、その目は語っていた。

「でも… あなただけが私を見て…写真まで…」
「君も僕を見たい?僕の裸を?」
「ええ…」
カナはジャヌの目をまっすぐ見つめながら答えた。

あなたは、大きな楽しみをあとにとっておく子供、そうなのね?
その楽しみを、私たちは一緒に味わえるのね…
カナは眼差しでジャヌを裸にする。目の前の男の肉体を、視線で犯していく。 
そこに想いの全てを刻み込んでいく。
約束よ。いい? 私たちは、分かち合うのよ。

ジャヌの瞳が喜びに震えたように見えたが、それはカナの気のせいかもしれなかった。
廊下に足音が響き、ドアの前で止まる。
「OK、じゃ今度、泳ぎにでも行こうか。」 
その言葉は次に起こることを予想していたかのようにさりげなく、そこに特別の意味は感じられない。

突然、ドアが開けられた。
「あら、カナ、まだいたの?」 そう言うアンの顔を、カナはまともに見ることが出来ない。
これが10分前だったらと思うと、ぞくりと背中にいやな感触が這いあがる。
「今帰るところよ。」 
ノックもせずに入ってきたアンを、カナもジャヌも責めなかった。

まだ注がれたばかりで細かなしずくに覆われたカナのグラスを、アンが見た。
「なんの話してたの?」
「暑くてたまらないから、今度泳ぎにでも行こうかって、ジャヌが…」
「いいわね。私も行く。いつにする?海がいいよね…」 
グラスから目を離さずにアンが言う。
「あなたたちだけで行って。私しばらく海はいいわ。」 

「カナ、夕食は?皆で中華料理はどう?」 ジャヌがいつもと同じ明るい声で誘った。
「そうね、カナ、あんたも一緒に行く?」 
アンの言葉のおざなりな調子に、カナの気持ちがずしりと重くなった。
「私、疲れてるみたいだから帰るわ。さっき飛行機で着いたばかりだし。
じゃあね、ジャヌ、アンも…」
ずっと視線をそらしたままのアンを目の端に寂しく認め、カナはジャヌの部屋を後にした。

私は終わらせるつもりで、始めてしまった…

エレベーターの前を通り過ぎ、
うつむいて階段を降り始めたカナは、
エレベータからパオロが降り、
ジャヌの研究室のドアをノックするのに気付かなかった。

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