マイケル・ジャクソン 歌の言葉

posted in: 雑感NOTE | 0 | 2009/12/29

★「マイケルの遺した言葉」

先日のブログ記事で、
「ようやくこれからマイケルの楽曲に、真摯に耳を傾けることが出来るようなる」
と書いたが、そのときにどうしても必要なものがある。
マイケルが歌詞に込めた意味をしっかりと受け止めるための、まっとうな和訳だ。

実は私には最初から、マイケルの歌の言葉が、曲や歌唱のすばらしさと、
一度観たら繰り返し観たくなるダンスと同じくらい、強烈だった。
マイケルは言いたいことを全て自分の曲で現している、と思った。
そして、いくつかの曲に触発されて、物語まで書いてしまった。

その際に気付いたのが、良い和訳がないこと。
歌詞カードやフィルム(DVD)の字幕も、なんというか表面的で、
中には私のような素人でもクビをかしげる箇所もあった。
なのでこのサイトのことを知って小躍りするくらい嬉しかった。

・mjwaordsこと大西さんのサイト → 「マイケルの遺した言葉」

大西さんは映画「This is it」を見た後、
『スクリーンで甦ったマイケルは、圧倒的なシンガー、ダンサー、パフォーマーであると同時に、
最高のステージを作り上げようと懸命に戦うウォリアー(戦士)であり、
世界中にメッセージを伝えようとするメッセンジャーであることを』再認識し、
さらに、『世界は今、マイケルのメッセージを必要としている』との確信を持つ。

だが、目に付くものによい和訳は少ない。このような状況を大西さんは、
『とても見過ごすことはできないと思いました。
マイケルのメッセージがきちんと翻訳されないなどということは、
人類の損失以外の何ものでもありません。
一人でも多くの人に、マイケル のメッセージをもっときちんと理解して欲しいという思い一つで、
これを書くことにしたのです』と言う。
なんとも頼もしく、ありがたいことだ。

★マイケルのエクステンションたち

「マ イケルのエクステンション」は、映画「This Is It」のなかでケニー・オルテガ監督が、
バックダンサーやシンガーに向けて使った言葉だ。
君たちはマイケルのパフォーマンスにおいて彼の体の延長、一部であり、
彼のメッセージを彼と一体となって表現するんだ、という意味のようだ。

ソウル・サーチンの吉岡正晴さんはブログでこう述べている。
『マイケルの分身。ダンサーもマイケルの分身、ミュージシャンもシンガーも分身だ。
そしてこれからは、観客がマイケルの分身になっていく。
そう、マイケルが伝えたいその熱いメッセージを、観客一人一人が胸に秘め、醸造し、
それをマイケルのエクステンションとして、人々に発信していくのだ。
物事が広がっていくと いうことは、こういうところから始まるのではないかと、強く思った。
まさに、Make that changeだ。』

吉岡さんは、西寺郷太さんらと共に、メディアでの発信や執筆、ブログなどで、
すでに「マイケルのエクステンション」の筆頭を走っておられる方だ。
もちろん大西さんの活動も「マイケルのエクステンション」としての、
しかもかなり根っこの部分での作業だ。

こ の半年、いくつかマイケルファンのブログやサイトを覗いてきたが、
そこにはある共通点があるように思う。
これまでに私が知っている俳優のファンサイトなどとは明らかに違う点。
そこには、マイケルのメッセージ(あるいは彼の真の姿)をより多くの人に伝えたいという、
(自分たち仲間だけで楽しみ、完結するのではない)
他者に向けて発する思いが感じられることだ。
そう、みな「マイケルのエクステンション」なのだ。
もちろんそれは、それだけマイケルの歌が聴くものを感動させ、
さらに人を動かしていく強い力を持っているということなのだが。

★「マイケル・ジャクソン学」

これは吉岡さんが提唱していることで、とても共感を覚えた。
上記のように「マイケルのエクステンション」としてメッセンジャーを果たそうとするとき、
「マイケル教」の布教活動のようになってしまうのは違うと思っていたから。

吉岡さんのブログから。
『僕もここ数ヶ月、マイケルの作品の歌詞を改めて読み直しているが、
実に示唆に富んだ表現が多いことに気づく。
「オフ・ザ・ウォール」ではそれほど顕著ではな かったが、
「スリラー」以降はまさにマイケルの主張の独壇場だ。
マイケルのメッセージを読み解くこと、それを「マイケル・ジャクソン」というひとつの学問 と考え、
「マイケル・ジャクソン学(Michael Jackson-ology=マイケル・ジャクソノロジー)」と名付けよう。』

・ソウル・サーチンの記事 → 「マイケル・ジャクソン学」が始まる

吉岡さんは、大西さんも訳している「Man In The Mirror」と「Human Nature」に関して、
独自の訳をブログに載せているが、こういう試みが「学」たるゆえんで、読んでみるととても面白い。
「Human Nature」は、西寺さんはまた違う解釈をしているようだし、
刊行が遅れている西寺さんのマイケル訳詩集も、待ち遠しくてたまらない。

・西寺郷太さんのブログはこちら → GOTAMA’S LIFE

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください