国連からも人権侵害と勧告を受けるに至った慰安婦問題

posted in: 雑感NOTE | 0 | 2014/8/11

慰安婦をめぐる橋下発言から一年あまりがたった。
市長が沖縄の米兵について触れたことで、
注目する人々の数が広がってしまった慰安婦問題。
当時、アメリ在住の作家冷泉彰彦氏は、今の段階では
アメリカのマジョリティーがそれほど問題視しているわけではない、
ただし、政府が間違った対応を繰り返し、
それが臨界を超えれば話は違ってくる、と書いた。

また、橋下市長は自身の発言を失言としては認めず、
詭弁を弄し、一般化してすり抜けようとした結果、
むしろ問題解決を一段高い普遍的な人権問題のレベルに押し上げてしまった。
もとよりそこに慰安婦の問題点はあるのだが、
今や日本はこの観点において正面から向き合うしかない、
というところに至っている。

それなのに日本政府は、世界からの注目が集まる中、
本質的な問題点に取り組むどころか、「河野談話の検証」などという後退的な、
かつ韓国の感情を逆なでするような行為、
すなわち冷泉さんがいう「間違った対応」を繰り返すのみならず、
反慰安婦団体による「慰安婦」に対する現行の人権侵害をも放置してきた。
これらの団体の言説は、彼女たちは慰安婦ではなく売春婦だった、
慰安婦はウソ、などと、二重三重に「慰安婦」を貶める差別的なものだ。

7月の国連自由権規約委員会は、日本の人権侵害に関して、
集団的自衛権やヘイトスピーチなどと並んで、代用監獄と慰安婦問題を、
日本の変わらない人権意識を物語るものとしてことに強く指弾した。
6項目の勧告は、謝罪や保障に加え、慰安婦問題の教科書への明記や教育にまで踏み込む、
日本の人権認識の構造的問題にまで触れる相当に厳しいものだ。
もちろん、日本は勧告に従う義務を追う。

この委員会には反慰安婦団体も10名ほど参加しており、
日本政府の答弁では、性奴隷という定義の否定の際に拍手をして顰蹙をかった。
また彼らは、委員会終了後、慰安婦問題を取り上げた委員を取り囲み糾弾したという。

日本政府は委員会で、慰安婦の「本人の意思に反して」いたことは認め、
同時に、強制性はなかったと強調した。
「本人の意思に反して」いたがこれは強制ではない、は、
誰が聞いても明白に矛盾している。
このような論理が通ると思うこと自体どうかしているが、
先の反慰安婦団体の行動と併せて、
日本の人権意識がいかにお粗末なレベルであるか、
むしろ積極的に人権侵害を行っているとんでもない国だという格好の宣伝を、
世界に配信してしまったとも言える。

さて、ここにきて朝日新聞が、慰安婦問題を特集した。
強制性をめぐって、でっち上げによって書かれた本を根拠にしていると、
長く反慰安婦派から攻撃されてきた記事を撤回し、
論点を整理しようとする大々的な特集だ。

だが、「狭義の強制性」などあってもなくとも、
問題の本質になんら変わりはない。
「本人の意思に反して」いれば、それは人権侵害なのである。
済州島の「強制連行」の資料は見つからないとしても、
インドネシアやフィリピンでの軍による「強制性」の資料はある。

ただし、二日感で誌面4ページ以上にわたり展開した記事で、
慰安婦問題の今日的かつ本質的な論点がすっきり提示されたかというと、
少し物足りない。
強制性(の一部)はねつ造であったとか、
挺身隊という言葉の使い方は誤りであったとかは、枝葉末節にすぎないのだ。
反慰安婦派の朝日攻撃や慰安婦(問題)攻撃は、
常にこの枝葉末節を捻じ曲げ、拡大解釈することによって為されてきた。
これがゆえに本質的な問題が覆い隠されてきた、とも言える。

また、あきれたことに、反慰安婦派はこの朝日の特集を、
まるで自分たちの勝利のように思っているらしい。
そうではない、これからは枝葉末節の不毛で的外れな議論ではなく、
ことの本質で世界の批判と指弾に応えていかなくてはならないのだ、ということを、
もっと明確に、わかりやすく、示すべきだ。
慰安婦問題を少しでもまともに考えればわかるようなことではあっても、
国連の指弾と勧告の異例の厳しさの意味は、まだ、読者や国民に充分染み渡ってはいない。
この点を丁寧に説いていくのが、20年も前の記事の訂正を今になって行った朝日の、
その心意気に見合う、責務であろう。

ブログにも朝日の記事と国連の勧告をめぐって、もう少し詳しく書きました。
朝日新聞の従軍慰安婦検証記事をめぐって

慰安婦問題に関するこれまでの記事はこちら
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