「福島第一原発」メディアとフィードバック 2/2

posted in: 雑感NOTE | 1 | 2011/4/9

◆既存メディアとフィードバック

3月31日の朝日新聞には、
「全電源喪失 米、30年前にシナリオ」と題した記事が載った。
米の研究機関が1981~82年に、福島第一原発と同型の原子炉(GEのマークⅠ)の、
事故シュミレーション報告書を作成しており、そこには、
全電源が喪失した場合の、燃料溶融の始まる時間などが記されていた。
米原子力規制委員会はこれを安全規制に活用したが、
日本は送電線などが早期に復旧すると想定しなかった。
だが、福島の事故は、ほぼこのシュミレーション通りの順序で進んだ」というものだ。

これの前段になるような記事を、その少し前にインターネットで読んだ。
マークⅠ型の設計者が、その後安全性に問題があることに気づき(75年ごろ)、
GEに使用の中止等を提言したが聞き入れられず、抗議のためにGEを辞めていた、
というような内容であった。
今検索しても、そのとき読んだ記事が出てこないのだけれど、
どうやら米ABCニュースが15日に報じたものが大もとのように思える。

GEは「売れなくなる」と議論を封印したとのことだが、朝日の記事によれば、
アメリカでは設計者の提言は、その後別ルートからの報告により生かされたのが、
日本では生かされなかった、ということになる。

この記事は、4月6日の「非常設備 改修洩れ」と題する、
ほぼ1ページ大の記事にひきつがれた。
関係者の証言として、「ほかの原発に比べて極端に津波に弱い」マークⅠ型が、
「大規模工事になりカネがかかる」として、充分な安全対策が講じられなかった、
というものだ。

いくつかの記事がリレーのように繋がって、
国・東電がマークⅠ型の欠陥を放置したことにより、
事故に至った道筋が暴かれている。
こうなると、インターネットも既存メディアもない。
ABCのニュースに関しては、何人かの人がいち早くブログで翻訳してくれているが、
そのような草の根メディアと、気鋭のジャーナリストたちのネットメディア、
そして既存のメディアが、フィードバックしあっているようにも見える。
私はあまり活用していないけれど、きっとTwitterやFacebookなども、
アクティブに絡んできているに違いない。

ここで、4月1日の朝日新聞の「オピニオン」を紹介することにしよう。
三菱総研理事長・前東大総長の小宮山宏氏のインタビュー記事だ。

氏は、事故を招いたのは、専門家・研究者・東電などが、
いわゆる「原子力村」(原発推進派の産官学の閉鎖的な利益共同体)をつくり、
他分野とのオープンな横の連携を怠ったためだ、と指摘し、
関係者の免責制度を導入するなどして、
過去に遡って徹底的に事故原因を究明すべきだ、と述べている。

また、原子力は低炭素社会を目指した「つなぎ」エネルギーであるとし、
「最大限の安全性を講じ、自然エネルギーの実用化が実現するまで
つないでいくしかない」とする。

東電の社外監査役を務める人と、 脱原発に舵を切ろうという静岡県知事が、
ほとんど同じだことを言っている(3月24日朝日新聞「オピニオン」)のが興味深い。

さらに小宮山氏は、
「続けるか続けないか、徹底的に、みんなが納得するまで議論しましょうよ。
それでやると決めたらやる、やめると決めたら、勇気を出してやめましょう。
この国にはゼロからの議論、大人がする議論、
具体的な根拠に基づく議論が少なすぎる。
この機会に本気で徹底的に議論する(ただし原子力の専門家と、
一般の科学技術の専門家で、ということらしいけれど)。
その作業こそが日本にとって一番プラスになる」と結論付ける。

この「みんなが納得するまで議論しましょうよ」は、
日経ONLINEの武田氏の記事の結論も同じだった。
そして、そのような場のひとつがインターネット・メディアであり、 
オンライン上の様々な個人ブログや大小のコミュニティーであることは、
間違いないと思う。

3月31日の朝日新聞「論壇時評」で、 東浩紀氏も、
「インターネットを通じて、じつに多くの言論人や専門家が、
一般の市民に直接言葉を届け始めた。
その振る舞いは、今後の科学コミュニケーションの重要なモデルとなる」。
そこでは、「真実を求め侃々諤々の議論」が交わされていた」
と評価している。

このような動きは、原発事故を境に急に現われたわけではないだろう。
すでに充分な準備はされていた。
誰もが乗ることのできる様々なプラットフォームが出現し、
そこでトライアルも行われていた。
だからこの大きな現実を前に、
滞ることなく「コミュニケーションの重要なモデル」として、
活発に機能し始めているのだと思う。

これを先に紹介したリレー記事のように、
ネット上だけでなく、他のチャンネルに、
現実の社会や関係に、どのようにフィードバックしていけるのか。

要は色々な場で考え、色々な人と議論し、
批判すべきはしていく、そしてより良い解をさがしていく、ということだけれど、
それは東電社員へのいやがらせや、鬱憤晴らしの誹謗中傷とは、
まったく違うものであり、むしろそれらを減らしていくものだと、信じている。

最後に、小宮山氏が呼びかけている専門家による議論の場の、
すでにある取り組みを紹介しよう。

・原子力円卓会議2010シンポジウム(2010年11月23日)
「原子力政策をどう見直すか
~日独伊における今日的論点とその方向性」

http://www.isep.or.jp/event/101123sympo.html

このフォーラムは、13年前に初回が開かれているようだけれど、2010年は、
「政治家、中央政府官僚、研究者(大学、研究機関)、NPO(環境系、脱原子力系)メンバー、弁護 士、会社経営者、地方政治家、地方行政官、シンクタンク研究員、作家、アーティスト、ジャー ナリストなど約30名」
を参加者として開催されている。

ずっと「議論しましょうよ」を実践してきた人たちがここにいた。
会議へのお誘いチラシには、

原子力政策は、今日、新しい局面を迎えています。かつてエネルギー政策の文脈で、安全性や核拡散などの視点から推進・批判の二派に分かれた対立的議論が行われてきましたが、自由化の進展した先進諸国では総じて開発が停滞してきました。
近年、地球温暖化対策やエネルギー安全保障の視点から、原子力の見直しの機運が高まるとともに(いわゆる原子力ルネッサンス)、途上国における原子力建設 の動きが目立ってきています。反面、先進諸国では、高経年化した原子力発電所の安全対策や廃炉・リプレースが現実的な問題として直面しつつあります。
こうした状況下で、原子力政策を巡る議論も成熟・多様化しており、かつての推進・批判という二元論に集約できないさまざまな論点があり、それらを開かれた議論のもとで合意し解決していくことが期待されています。

とある。

その「期待」は、会議から4ヶ月を経た今、
これまでとは全く違う、切実なものになったように思える。
「新しい局面」は、その意味で最も不幸なかたちで顕在化したけれど、
この短い要約にもあるように、 「議論の成熟」とともにすでに迎えていたものだ。
受け止めるべき言葉は、すでに充分に蓄積されてある。

福島第一原発の事故が、楽観視を許さない長期戦となることだけは、
誰の眼にも確かなこととして、メディアを問わず語られるようになった。
東電や国の過去の責任問題は、これからも色々出てくるだろう。
けれども私たちは、現実の事故の収束では、
東電や国を応援しなければならない。

同時に、今原子炉で身を挺して働いてくれている人たちや、
恩恵とセットになったリスクを(今はリスクだけを)、
長く過酷な困難として負わされてしまった地元の人々と、
事故に至る経緯や、日本の原子力政策を、そしてこれからのことを、
一所懸命考えていかなければならない。
それが未来に対する良心なのだと、思っている。 

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