いつかリビアに行きたい…

posted in: 旅とイタリア | 0 | 2011/2/27

Around the 中東、A piece of 中東 ①

 

2011年 中東が歴史的な変動を迎えつつある2月、
シリアとヨルダンへ行ってきた。
旅の前に考えていたこと、旅で感じたこと、帰国後の思いなどを、
忘れないうちに記しておこう。

いつかリビアに行きたいと思っていた。

いくつかあるいつか行きたい国のなかで、
なかなか行けないだろうとと半ばあきらめていたもう一つの国、ヨルダンを旅しながら、
チュニジアとエジプトの市民の抗議のうねりが、イランやバーレーンにも及び、
リビアでもデモが続いていると、ガイドの口から短いニュースを聞いた。

シリアでもヨルダンでも、ネットの接続スピードは極端に遅く、
(これは物理的な能力の問題ばかりではないだろう)
タイトなスケジュールで、ホテルの衛星TVを見る暇すらない日々だった。
迎えた20日、帰国の夜、トランジットのドーハ。

フリーのPCが並ぶブースでは、
FaceBookをのぞいていた髭の若者が、順番待ちの列を気にしてか、
そそくさとアクセスを中断して、一台を私に譲ってくれた。
インドのシーク教徒のような、白いターバンを巻いていた。

ようやくポータルサイトのトップページに繋がった。
そこに、リビアのデモ 死者200名、とのタイトルがあった。
サイトはアクセス途中でたちまちフリーズ、
記事の内容を読むことは出来なかった。

数日後のニュースで、死者の数は1000名と報じられたが、
この数が今どこまで増えているのか、
明確な数字がほとんど出てこないことが、
錯綜するリビアの状況を語っている。

 

私のリビアに関する知識は、これまでは、
カダフィ大佐がなした「緑の革命」の国、という程度のものに過ぎなかった。
近年、強硬な反米路線を修正、大量破壊兵器の開発放棄を宣言すると、
経済制裁も解除され、テロ支援国家リストからもはずされ、
旅行しやすくなったのではないかと、喜んでいた。
カダフィの後継者問題が出ると混乱する可能性もあるから、
彼が元気なうちに行ったほうがいいかな、などと。

TVの映像で見知っていたのは、トリポリの、
イタリア植民地時代のものなのか、
白い石造りの、どこかローマを思わせるこぎれいな町並み。
広場を望むオープンカフェで水煙草を吸う男性がいなければ、
北アフリカとも、アラブの国とも、思わないような。

それから、レプティス・マーニャ。
古代ローマ時代に繁栄した、海を臨む壮麗な都市遺跡。
この町出身のセプティミウス・セヴェルスは、
紀元2世紀、軍人から皇帝へ就任を果たすと、
生まれ故郷を帝国の属州の州都として、
北アフリカ随一の大都市につくり変えた。

古代ローマのどの都市にも共通の、
まっすぐ続き、東西に交差する大通り、凱旋門、
ローマ劇場、円形闘技場、大浴場…。

かつて、北アフリカを含む地中海世界は、ひとつの国だった。
それは属州出身者であろうとも、皇帝になるのを許す国。
真に相応しい人がその椅子に座り、広大な帝国が繁栄を極めた、
五賢帝-パクス・ロマーナ-の少しあとの時代。

 

『リビアの小さな赤い実』

しばらく前から、アフリカや中東に関する本を少しずつ読んでいる。
そのなかの一冊、去年の11月か12月に読んだもの。
メモを紛失してしまったので、記憶に頼ってちょっとだけ。

(関係ないけれど、記録メモとしてつけていた日記帳ソフトで、
誤ってファイルを破損、この半年のデータがおじゃんに。
読んだ本の感想やメモも全てなくなってしまい、
しばらくショックで呆然としていた。)

図書館でこの本を見つけたとき、新聞の書評がぼんやりと記憶にあった。
なぜか女性だと思い込んでいた著者、ヒシャーム・マタールは男性で、
ニューヨークで生まれたリビア人。
英米文学の棚にあったのは、ロンドン在住だから。

一家は彼が幼い頃トリポリに戻るが、
外交官だった父親は反政府分子として目を付けられ、
暗殺を恐れてエジプトに脱出。
にもかかわらず、カイロで何者かに拉致され、
以後消息不明となってしまう。

この小説は、その体験を折り込んで書かれた著者のデビュー作だが、
最近読んだ中で私のトップスリー、
いや、ナンバーワンと言ってもいいほどの作品。

主人公は、まだ幼さを残しながらも、
大人の世界に(否応なく)足を踏み入れていく小学生。
夏休みのトリポリの、乾いた街路、空、海、
桑の木に登り、熱射病になりながら、真っ赤な実を一人で貪り食べる少年……
熱い風と強烈な日差しが、ひりひりと感じられるような描写だ。

貿易の仕事でしょっちゅう家を空ける父。
母は息子と二人になると、とたんに精神的に不安定になり、
「薬」と偽り、密売の酒に溺れている。

彼女には深いトラウマがあった。
少女の頃、顔見知りの少年とカフェでコーヒーを飲んでいた姿を見咎められ、
貞操を疑われ、しばらく家に監禁された後に、
父と兄によって選ばれた男と、無理やり結婚させられたこと。
母親は息子に、繰り返し、普段は心の底に沈んでいる、
けれども酔うたびに攪拌されて浮かび上がる、痛みと嘆きを語り続ける。

ある日少年は、出張でいないはずの父を街角で見かける。
確かに自分と視線を交わしたはずなのに、
本当に気づかなかったのか、それとも気づかない振りをしていたのか、
父は他人のような冷たい後姿を残して消えた。

母の鬱屈と父の「秘密」をくるむように、物語にはある緊張が漲っている。

近所に住む、家族ぐるみでつきあいのあった一家の長が、
突然逮捕される。
この国は、彼のような「犯罪者」の尋問がTVで流されるという、
異様な社会だ。

やがて少年の父親の「秘密」が、逮捕された隣人と同じ、
反政府活動であることが明かされる。
どこから洩れたのか、監視と密告の網にひっかかったのか、
父親も逮捕されてしまう。

私がうちのめされたのは、親しかったおじさんや父の逮捕をめぐる、
少年の気持ちや行動の微妙な揺らぎだ。
その揺らぎが、図らずも父の逮捕に道筋をつけることにもなる。
それらが、独裁体制の尋常ではない日常にあって、
人間の弱さや残酷さ、おろかさとして描き出されている点だ。
しかも、それを少しの非難も正当化もなく。

母は、ケーキを焼き、夫の釈放を頼みに、
町内の秘密警察の一員に会いに出かける。
父の非現実的な理想主義に対して、母の現実主義が力強く目覚めていく。
そこにはもう、酒に溺れていた姿はない。

釈放された父は、暴行を受けており、
肉体の傷が癒えたあとも、かつての気概を取り戻せずいる。
母は父のかつての活動仲間のエジプト人と、
弁護士をしていたその父親に息子をたくし、リビアを出国させる。

少年はカイロで勉強を終え、働き始めていた。
両親とはときどき電話で話すことしか出来なかったが、
寄宿した家族は温かい愛情を注いでくれ、
彼は立派に成人した。

リビアが国民の海外旅行の規制を弱めたために、
ようやく母親は息子に会いに来ることになった。
バスターミナルで母を迎えた青年は、
彼女の姿を驚きとともに眺める。
母はこれほどに美しく、若かったのか、と。
明るさに満ちたラストシーンだ。

 

この数日のテレビニュースは、リビアのいくつかの都市を、
反政府側が占拠したと報じている。
流れてくる映像で、人びとはカダフィが定めた緑の国旗ではなく、
それ以前に用いられていた、三色の国旗を振っていた。
41年も前の古い国旗が、これほどたくさん残っていたということ、
人びとは自由にものも言えない日々にあっても、
大事にこの国旗を持ち続けたのだ。
そのことのすごさ。

 

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