メディナとアトラスと砂の城–モロッコ周遊① 穏やかな王国

メディナとアトラスと砂の城–モロッコ周遊① 穏やかな王国

posted in: 旅とイタリア, 記憶の森 | 0 | 2014/4/24

エジプトの後に訪れてみれば、モロッコは穏やかな国であった。
穏やかなのは王の国であるからだと、ドライバーのバダーは言う。
隣国のアルジェリアから東に、チュニジア、リビア、
エジプトと続く民主化デモと政治の混乱を(南のマリ共和国も、であるが)
なぜモロッコは回避できているのかという質問に、
僕たちには王様がいるからと、答えたのである。
モロッコはこれだけ民族や部族やコミュニティが異なり、
習慣や文化が異なるけれども、王様の下ではひとつになれるのだ、と。

***

花が咲いていた。
カサブランカ空港から東にフェズを目指して走り出すと、
小雨交じりの曇り空に、ミモザの黄色が繰り返し現れては消えた。
(翌日のヴォルビリスという古代ローマの遺跡にも、雨と風と、
日本にはない–イタリアでは見かけることもある–たくさんの花が咲いていた。)

丘もあった。
小麦や牧草の柔らかな淡い緑に、オリーブの葉の銀の緑。

雨はよく降るのかと訊いた。
この季節はね、とバダーは答える。

川をいく筋も見た。
川だ、と言うと、山があるからね、とバダー。
僕たちがあとで(数日後の旅程で)超えるアトラスじゃ、
まだ雪も残ってると思うよ、とも言う。

二三度、道筋左手に太平洋が見えた。
暮れていく正面の空に、虹も現れた。
ほら後ろ、と言われて振り向けば、紅く染まった夕景。

たくさん果物や野菜が採れるんだよねと、
農産物が主要な輸出産業でもあると知っていたので、言ってみた。
モロッコは豊かだね、と付け加えたら、
バダーはリッチという言葉に心外だという顔をした。
自分たちの国にリッチという形容詞が使われることに違和感がある、
そういう顔だった。

私はあえて、(農産物だけでなく)文化とか、歴史とか、
音楽とかという言葉を補うこともせずに、そのままにしていた。
日本はプアーだと言おうかと思ったけれど、それもやめた。
言葉を重ねれば言わんとすることろは理解してくれるだろうけれど、
違和感が消えるわけではきっとない。
多くの日本人も、リッチとプアーの逆転に彼と同じ感覚を覚えるだろう。
でも、モロッコの予想以上に穏やかな緑や花や雨に、
それは違うという実感が、確かに私にはあった。

 

穏やかさは、翌日訪れた小さな街にも満ちていた。
メクネスはメディナ(旧市街)が世界遺産になっている、鄙びた街である。
新市街からメディナへの門を、道を尋ねながら走るその道の両側が、
実をたわわにつけたオレンジだった。きれいな方形に刈り込まれている。
街路樹がオレンジっていいねえとほめても、
バダーは、これは食べられないやつだけどね、とそっけない。

車から降りれば、空気にオレンジの花の香りが混じっている。
メディナを歩いていると、狭い路地に香りが満ちている一角があった。
ほとんどはつぼみのままの大量のオレンジの花が、
お米のポップコーンのようにふっくらと、石畳の花柄の布に広げられている。
傍らには洗面器のようなお皿が二枚乗った分銅の計り。
何に使うのかと訊けば、お料理とか、お菓子とか、という返事であった。

あとで調べたら、オレンジ水はお菓子の香りづけに使い、
オレンジオイルは美容用らしい。
オレンジ水も美容オイルも市販されているけれど、
この季節には皆手作りするのだろう。
花はミントティーにも入れる、とあった。

路上駐車していた車に戻ると、周囲はびっしりと、
道路に直接商品を並べた商店街と化していた。
車を出すには二三の商店をたたんでもらい、
切り返すスペースを作ってもらわなければならなかった。

何度も切り返して車が無事脱出できた後、
私は、路上販売は禁止されていないのか、と尋ねてみた。
駐車した車の際まで店を広げるのはちょっとなあ、と思ったからだ。
禁止 ? と、バダーは不思議そうな顔をした。
そして、貧しい人たちには他に方法がないんだから、と言った。
なぜこれが禁止されなければいけないのか、
当然の権利だろうと、彼は言っているのだった。
ガツンと、私は頭を殴られたような気がした。
公共の意味の、正しい解釈を突きつけられた思いだった。

エジプトでも、歩道が占有される光景を見た。
歩道はそこを通る人のものではなく、
そこに住んだり、店を構えたりしている人のもので、
カフェであれば椅子席となり、
工房であれば拡張屋外作業場と化していた。
あれとこれは、同じようで同じではない。

エジプトに比べてモロッコを穏やかと感じるには、
他にもいくつか理由がある。
エジプトではスークの足元に散らばり、
住宅街でもそこここに山に積まれ、
砂漠へ続く道路脇では砂に混じっていたゴミが、モロッコにはなかった。

どこもきれいにしてるねえと、
マラケシュのメディナを歩いている時だったかつぶやいたら、
ガイドが、朝店を開けるとき、まず店のなかを掃除し、
そのあとで自分の店の前を掃除します、と言った。

当たり前のことを当たり前に行っているだけのようであるが、
当たり前のこともそれを支えるシステムが機能していなければ、
当たり前のこととして行うことが出来ない。
人々の公共心以前の問題がそこにはある。

もう一つは、通りのクラクションの音だ。
これはもう国民性の違いなのかもしれないけれど、
誰もエジプトほどにはクラクションを鳴らさない。
モロッコでは、通りに面した新市街のホテルでも、
クラクションの音で眠れない、などということがなかった。
それに、車線の境が保たれている。
あの無秩序の秩序とは別世界だ。
エジプトと比べられたくない、と言われそうだけれど。

私は、当たり前の社会システムが機能しているのが王の国だということに、
何か意味はあるのだろうかと考えた。
社会主義一党独裁と王政とで、何が同じで何が違うのだろう。

三日後にフェズからアトラスを超え、砂漠に向かうルートでは、
イフレンやミデルトといった中小規模の街をいくつか通り抜けた。
必ずと言ってよいほどそこには王宮があったので、私は、
王様はいったいいくつ宮殿を持っているのか、とバダーに訊いた。
彼は数を上げる代わりに、主な街にはたいていあるよ、と答えた。
(マラケシュには、新旧ふたつもある。)

この国にはリッチピープルとプアーピープルしかいない、
ミドルはいないんだと、別の時、バダーは言った。
最初の日に私がモロッコはリッチだと言ったのを、
覚えていてのことかもしれなかった。

それでも、彼は、王の宮殿の数に拘泥せず、
王にどれだけの富が集中しているのかにも、興味はないようであった。
それはメクネスの路上商人たちも同じであるように思えた。
商人たちは穏やかに、当たり前のように道を明け、
バダーも穏やかに、何度も切り返しをして、
何事もなかったかのように通りを離れた。
その場の誰一人いらだちを見せず、だれもがにこやかだった。

 

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