エジプト 26日衝突の死者と「路上民主主義」

posted in: Around the 中東、A piece of 中東 | 0 | 2013/7/28

今日はもう一度「路上民主主義」について考え、この記事を書き終えて、
夕方ブログリーダーをチェック。
すると、野口さんのブログで26日の衝突で死者多数とあった。
一番恐れていたニュースだ。

最大数が死者120名、負傷者4500名(アルジャジーラ)。
シリア内線の1日の死者より多いと野口さんも驚く数字。
なんということ。

今現在の日本のメディアでは、死者75人となっている。
エジプトのデモ75人死亡・千人負傷 治安部隊が攻撃
(朝日Digital 7/27日 21:05)

この数字の前には、以下に書いていたことなど吹き飛んでしまうけれど、
希望と祈りを込めて、そのままアップすることにする。

***

状況は一層緊迫している。
シシ国防相の呼びかけによるデモはタハリールで10万規模。
全国では数十万人という。
同胞団側は全国で数万人ほど。
毎日の記事によると、国民の同胞団デモ理解者は2割とのことだ。

一定の理解者はいるものの、もはや圧倒的多数は反同胞団ではある。
ただ、このところ、政権交代で目的を達したからか、
タハリール広場等の若者デモの規模は縮小されており、
反同胞団で結束していたヌール党などの離脱もあった。
ゆえに、暫定政権側がより大きな揚力を求めたのは確かのようだ。
そして、同胞団鎮圧のお墨付き、「正当性」を得ること。
これで、デモにより信任を与えられた、と言える。

毎日だったか、これを「あいまいな信任」という書き方をしていた。
だが、昨日の記事で紹介した鈴木恵美さんによると、
ここでも「路上民主主義」が持ち出されているわけで、
要請した側もされた側も、「あいまい」どころか、
むしろ「明解」だと思っているのではないか。
現政権の最高位にいる権力者が「路上民主主義」に信を問う、
これを昨日は私も異例な声明ととらえたけれど、エジプトの人にとっては、
むしろすんなりと受け止められているのかもしれない。
ゆえに、今後の展開を見るうえでも、
「路上民主主義」はひとつのポイントになるように思う。

『エジプト 「革命」の行方』 を書いてみて再確認したのは、
エジプトの民主化プロセスの困難さである。
識字率や教育の問題、イスラムと政治の問題となると、
これは2年や3年でどうこうなるものではない。

先日、NHKの番組(クローズアップ現代?)で解説者が(名前は忘れた)、
同胞団は、選挙をやればまた自分たちが勝つと思っている、
長く弾圧され、草の根的に、あるいは地下に潜って活動してきたから、
今回もまた同じようにやり直せばいいと思っている、
というようなことを言っていた。
それだけ、有権者7割がいる農村地帯での自分たちの組織力などに、
自信があるのだろう。
確かに鈴木さんが指摘しているように、
識字率の低さとイスラムの浸透度が変わらない限り、
また同胞団が勝つのかもしれない。

けれども、それでまた同じイスラム化政策が通るとは思えない。
今回の明確な「路上民主主義」のノーは、
同胞団もまた受け止めざるを得ないのではないか。

結局、きちんと組織された統治能力や政策遂行能力を持つのは、
エジプトの場合軍と宗教団体だけなのだ。
リベラル左派の課題、組織化の難しさをクリアしたとしても、
その後、有権者7割の農村にどう切り込んでいけるのか。
軍と同胞団という、わかりやすい二極に対抗できるだけの力や手法を
どう作り上げていけるのか。

反同胞団署名2200万という数字について。
動画で投票用紙を見たけれど、名前と住所のほかに、
ID番号も書くようになっている、きちんとしたものだった。
数か月で集めたこの数字は、かなりすごい数字だと思う。
だって有権者の半数近いんだから。
(年齢とか、資格とか、きちんと精査された数なのかはわからないけれど。)

ただ、思ったのは、ここに文字の書けない人は入っているのか、ということだ。
識字率に、自分の名前くらいは書ける、
という人はどうカウントされているのだろう。
署名は自分の名前さえ自筆であれば有効なはずだ。

それから、前回の選挙で、同胞団支持で文字を書けない人は、
どのように投票したのだろう、という疑問もある。
なんらかの投票方法が考案されているのだろうか。
たとえば青票とか白票とか。

エジプトのような国の場合、民主的な選挙といっても、
システムそのものから考えないといけない、ということはわかった。
で、それはモルシ政権で行われていたのか。
そして、次の選挙ではどうなのか。

いずれにしろ、圧倒的に人口比多数の若者たちが、
「路上民主主義」だけでなく、議会制民主主義を担う必要性と、
民主主義という政治概念を、どうポピュラーなものにしていくのか、
それをイスラムとどう折り合いをつけていくのかという課題がある。

反同胞団非難キャンペーンに、彼らは非モスリムである、
というのがあるらしい。
非モスリムであるというのは、最大の侮辱で、
相手を貶めるための最強の言葉なのだろう。
これを見ても、たとえ世俗主義を政治に求めていく場合であっても、
90%がモスリムであるエジプトでは、
「民主主義」にイスラムの「正当性」を与えていく必要があると思われる。

この度の政変の対立は、世俗対イスラムではなく、
同胞団対その他、ではあったけれど、憲法や政策において、
イスラムをどう規定していくのかもまた、大きな課題だろう。
モルシ政権はイスラムに大きく振れたがゆえに、倒れる速度が加速した。
その反動で世俗に触れすぎるのも、またリスクがある。

いずれにしろ、直近の懸念は、
暫定政権(軍)が、モルシ支持デモをどうしようとしているのか。
政権運営に同胞団をどう位置付けていくのか。
たとえデモを一時的に力で押さえつけたとして、
その後、2割の反政府勢力を抱えて、どのような政治ができるのか。
まず、公正な選挙ができるのかどうか。

現時点で政治的組織体が同胞団でなければ軍しかない、としても、
またぐるりと以前の独裁政権に戻してしまったら、
それこそ何のための革命だったのか、ということになる。
ここを譲れない一線として守り抜く勢力は、「路上民主主義」しかいない。
シシ国防相は次の大統領を狙っているのでは?
というような憶測も出ているけれど、
くれぐれも民主的な手順の下に次のプロセスを進めてほしい。

「路上民主主義」が、民主化プロセスにどれだけコミットしていけるのか、
あるいはどれだけしっかりとプロセスをチェックしていけるのかも、
また、大きな課題だ。
軍が1.25革命の失敗から学んでいるように、
「路上民主主義」もまた、前回の失敗から学び、成熟して欲しい。
以前も書いたけれど、「クーデター」の呼称を返上するには、手法はさておき、
中身である民主化プロセスをどれだけまっとうに進めていくか、
しかないのだから。

 

【その他 メモとして】

エジプト裁判所、脱獄関与の容疑でムルシ氏の拘束命じる (CNN 7/27)
エジプトで最も重要なのは軍部=モルシ前大統領の弟 (朝日Digital 7/26)
エジプト政情安定化に米が2つのシグナル…支援継続、F16供与凍結
(msn 産経ニュース 7/27)

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