Twittery1011,1012 – クリスマスだ…

posted in: 月誌 | 0 | 2010/12/24

例年この時期から春先までヒマになる。
それで小説を書いたりするんだけれど、
今年は懸案の評論もどきに取り掛かってしまった。
気が付いたらTwittery月一のノルマも忘れ、11月が過ぎ、
12月もあと10日あまり。
なんだか廃刊寸前の月間誌みたいなことになってしまったけれど、
まあときに私はこんなもんです。

この二ヶ月のトップニュースは『Michael』だろう。
いや、2月半ばにシリア・ヨルダンに行くことになったことか。
次は五十肩(という診断)。
旅行までに、何とか盛り返してくれよ、私の肩。
あ、そうだ、それにもめげず、クラブに連れて行ってもらって、
踊りまくってきた、なんてこともあった。

11月はアナイスのメドがついたので、アフリカ関連をまた読み始めた。
今日までで、アフリカもの8冊、あとは岡真理さんのアラブ文学関連2冊、
他に瀬戸内寂聴の『花芯』、『いちげんさん』、『池澤夏樹旅地図』など。

『色・褪せない』に書いたもの以外でも、何冊か、
メモを書評としてまとめておきたいものもあるんだけれど、
『色・・・』がひと段落しないと、時間がとれそうもない。

『NUBA』は、懐かしかった。
あれから何年? でも、こうやって、
若いときに触れたものがまた巡ってきてくれるのも嬉しい。

しかし、『色…』で自分に課した週一アップに追われて、忙しいったらない。
いや、アナイスの前はタイムラグがあるよ。
ということは、アルファ・ポリスのコンテンツに登録、
賞にエントリーしたことが枷になってるってこと。
はぁ…。いいのか悪いのか。

が、『色…』で、自分のこれまでのこだわりを一旦整理することも必要。
最後の山は桐野さんだけれど、これはかなりを読み返さないと書けないから、
その前で力尽きそうな予感もする。一時中断もありか。

なんてぐだぐだを書くつもりじゃなかったのに。

ホントは、今日はクリスマスイブなんだし、
クリスマス関連の話題でもさらりと書くつもりだったんだよ。

と言ってもパネットーネとか、シュトーレンとか、
ずいぶん昔の、クリスマスケーキ作りパーティーのはなしとか。
あと、よしもとばななの、クリスマスのエピソードを書いた、
イタリアの冷たく澄んだ景色が目に浮かぶエッセイのこととか。

そう言えば、この、『イタリアンばなな』のなかの「クリスマスの思い出」を、
アレッサンドロ・ジェレヴィーニの伊訳でGと一緒に読んだとき、
彼女が、これはおかしい、と指摘した箇所があった。

この短いエッセイでは、日本のクリスマスの風景や、
著者の幼いころの思い出などを語ったあと、
アレッサンドロの故郷クレモナやフィレンツェで、
彼らと過したクリスマスシーズンの情景が描写される。

私には、著者が、楽しいときを過したイタリア人の友人との、
すぐそこに迫った別れを、
賑やかなクリスマスの喧騒が溢れる街角で実感する切なさが、
印象的だったんだけれど。

Gの指摘は、冒頭に描き出された、日本の街角のシーンにあった。

日本のクリスマスというのは、
イタリアの人たちには想像もつかないほどインチキなものだと思う。

宗教的な基礎がないところに形式だけ持ってきたものだから、
みんな何をしていいのかわからず、
「とにかくなんだかお祭りなのだろう」という感じだ。
デパートばかりがにぎやかになって、
ものすごい飾りが街中にあふれる。
日本人の今いちばん身近な宗教は消費だから、
それがいちばん日本人らしいのかもしれない。

そうは言っても、やはり日本特有の少し湿った冷たい空気の中に
光り輝くツリーが飾られクリスマスの音楽が流れると、
多少は胸がときめくものだ。
コンビニエンスストアやスーパーから、
街のケーキ屋さんまでいろいろな店先にケーキが並び、
普段ケーキに縁がなさそうなおじさん達が
それを家族に買って帰る様子などを見ていると、心が暖まる。

A.ジェレヴィーニ氏は伊訳にあたって、
おじさん達がケーキに縁がない、というのをどう訳すのかが難しかった、
と述べている。
ああ、と私もおかしかった。
何故なら、イタリアではおじさんだろうと誰だろうと、
ケーキ(ドルチェ)に縁のない人などいないのだから。

そんなことを話して笑いあった後、Gが言った。
「この、日本特有の少し湿った冷たい空気、というの、
ちょっとおかしくない?」

それは、日本に長く暮らすイタリア人だから感じる違和感だった。
彼女の知っている日本と違って、イタリアでは、
冬にはたくさん雨が振り、空気は湿っているのである。
一方で、冬の日本の(太平洋側の)空気は、Gにとって、
鼻の奥がツンとするような乾いたものなのだ。

私も太平洋側でずっと暮らしているのに、
そう言われるまで、少しもひっかからないでいたのが不思議だった。

毎年帰国するとき、Gは、イタリアに来たら連絡してね、と、
いつも言っていた。

あの冬の終り、ミラノから少し南に離れた僧院を訪ねたとき、
空気は湿り気を帯び、ゆったりとした靄が地上の景色を幻想的に覆っていた。
ミラノに着いて電話したら、彼女は別の町に出かけるところだった。
あのときが、イタリアで彼女に会えた最後のチャンスだったのに、
私もGも、また次があると、信じきっていた。

春がきて日本に戻るとすぐ、彼女は発病した。
アパートを整理して、ミラノに帰って半年、
クリスマスの少し前、久しぶりにGに電話をした。
クリスチャンではない彼女は、クリスマスが嫌いだった。
だから、クリスマスを祝いたい母や妹に、無神論者で病気の私はじゃまなのだと、
電話で彼女は嘆いた。
明るい日本の空を懐かしみ、陽の射さない暗いミラノを、嘆いた。

家族の楽しみを、彼女は奪わなかった。それもGらしい。
クリスマスが終わって数日後、彼女は逝った。
でも、大好きだったパネットーネは、きっと食べただろう。
一度、お土産に持ってきてくれたことがあった。
美味しく食べるために、少し温かいところに置いておくといいと、
彼女は言った。今夜は、そうして食べてみよう。

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