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posted in: 月誌 | 3 | 2010/6/9

5月末からのトライアスロン研修ツアーは6/2日に無事終了。
今回はずっと気になっていた Rimini を訪れることが出来、満足。
そう言えば、Sabbioneta や Pesaro も、随分前に名前がイン・プットされたままの街だったけれど、
やっと現実のものになった。
しかし、あまりのハードさゆえにか、油断したためか、帰国と同時に喉の痛みと発熱でダウン。
風邪の症状の小康状態とぶり返しを経て、ようやく回復してきた。

この間に、ポール・ボウルズの「シェリタリング・スカイ」を再読(三読目だけれど)。
あらためてすごい作品だと思う。
つきはなした、けれども諦念とは底のところで決定的に違う、人間に対する観察と思索の凄みが、
アフリカの容赦の無い自然を背景に、見事に描かれていると思う。

 

三度目ながら、こんなところあったっけ? と驚く箇所多し。
いったいこれまでの二回は何を読んでいたんだろう。
今までは、翻訳の固さや不自然さに捉われてイマイチ入り込めないでいたのかもしれない。
今回はそれを最初から覚悟して読み始めたせいか、それほど気にならなかった。
訳の文体を超えて大きなものを伝えることが出来る作品というものが、
確かにあることも再確認。
もちろん、本当はもっとすごいのではないか、違う訳で(もしくは原書で)読みたい!
という思いは変わらないけれど。

もうひとつ、体調不振にもかかわらず、おととい、
しばらく前に見た夢にヒントを得て、ついに書き始めたこと。
夢にからめて、「シェルタリング・スカイ」のアフリカが真っ先に思い出され、
ゆえにもう一度読み返したわけだけれど、
あの作品に流れるトーンのようなものが、私を導いてくれればいいと願っている。
印象的なシーンに重ねた描写が出てきてしまったら(きっと出てくる)、
それはポール・ボウルズへのオマージュである。

あとはアーシュラ・K・ル・グインの一連の作品と、ガルシア・マルケスの「エレンディラ」。

3 Responses

  1. アフリカ、「百年の孤独」、仕事MT他

    昼は仕事、夜は創作、そうできればいいのだが、
    昼は仕事、夜も仕事、で終わってしまう日が続いていた。
    というのも、仕事で一年余り放っておいたHPのMT作業をようやく再開、
    ほとんどのことを忘れていて愕然としながらも、やりだすと途中で止まらない。
    おかげで、なんとか大枠の最後のまとめができて、
    あとは中身の記事を整理すればいいところまできた。
    以前に一度図書館で借りて途中で挫折していた「百年の孤独」を入手。
    古い。いや本そのものが。けちらずに新品を買えばよかった。
    内容は、何故この前は挫折したのか不思議なくらいすらすら入ってくる。
    読みどきというのは確かにある。
    逆にル・グインの評論(講演?)集「ファンタジーと言葉」は語り口やエピソードになじめず、
    面白い箇所もあるのに、読み進めるのが苦痛になってきた。
    そう言えば「夜の言葉」も同じような感じだったなぁ。
    彼女の小説は、もう一度「闇の左手」と「所有せざる人々」を読みたいと思っている。
    「女の千年王国」も。
    「幻影の都市」はそれなりに面白かったけれど、「言の葉の樹」のほうが好み。
    デネーセンの「アフリカの日々」は、前から読みたかったもの。
    今読まずしていつ読むのだ!? と思い、注文。
    ワールドカップとは全然関係ないんだけれど、
    この機会にTVで紹介されるアフリカの風景は、食い入るように見ている。
    と言ってもアフリカは広い。
    その広さが、もちろん実感としてはわからない。
    地域ごとの違いも。
    高原があり、草原があり、山脈があり、砂漠がある。
    川があり、湖があり、オアシスがある。
    それでもユッスーが、
    アフリカのみんな、国境を超えて同じ希望を持とう(ニューアフリカ)、
    目覚めよ、立ち上がれアフリカ、自らを信じて…(アフリカ ドリーム・アゲイン)、
    と歌うときの「アフリカ」がある。
    これは決して、歴史的政治的な意味だけのことではない。
    国境という線(地図を見るだけで、アフリカ大陸における国境の意味するところがよく解る)の
    非現実性というものが、アフリカには目に見えるかたちとしてある。
    そのひとつが音楽であるのは、間違いない。
    マリのサリフ・ケイタもグリオだと言う。
    ユッスーとはまた違うゆったり感が、聞くほどにじわじわと迫る。
    アリー・ファカル・トゥーレ&トゥマニ・ジャバテもマリだし、
    ティネリワンもマリだ。
    西に偏っているのは、入り口がセネガルのユッスーだからか。
    あるいはこれは、西欧と日本の偏りなのかも。
    アリー&トゥマニの弦の響きは本当に素晴らしい。
    砂漠の乾いた空気を遠くまで伝わる響きだと思った。
    これもまた、とても視覚的だ。
    というふうに、私は私の偏りの度合いを更に深めている。
    この偏向的な欲望に迷わず従って行きたいと、ひそかに決意もしている。ごめん。
    vai

  2. アフリカの本

    女性会館と名づけられた施設に図書館があって、
    全体の本の数はそれほどもないけれど、
    女性作家の小説やエッセー、世界の女性の歴史や暮らしに関する本、
    女性の労働や性、心の問題、宗教や家族関係の本等等が充実している。
    用事があって会館に出かけたついでに、図書館に寄ってみた。
    本の数が少ないというのはいい。
    全部の背表紙を見るのも可能だし、
    この図書館の場合、読んでみたいと思う本があちこちの棚にあるんだけれど、
    それをぱらぱらめくりながら端から端まであさっても、
    そうたいした時間はかからない。
    今回あたりをつけていたのはアフリカ関係の本。
    予想通りけっこうあって、そのなかから数冊を借りてくる。
    ・「アフリカの光りと風と」鈴木宇子・著(1988)/同時代社
    とりあえずこれから読み始める。
    中東部ビクトリア湖の周囲の国での研究者としての暮らしぶりと、
    それらの土地に暮らす各部族に特有な民家の話がつづられている(途中三分の二まで読了)。
    時代は1967年から78年にかけて。
    国としては、ウガンダ、ルアンダ、ケニア、タンザニア、コンゴ(ザイール)など。
    ケニアの北はエチオピアで、その西はスーダン(これは私の覚えのために)。
    森と湖、ときどき草原。
    アルバート湖も、ビクトリア湖もナイルの源流である。
    (地図で確認するとナイルの大きさに驚く。)
    穀物を粉にしてお湯でねっただんごが主食等、食べ物の記述も興味深い。
    著者はアフリカに入った最初の女性研究者らしい。
    連れ合いがアフリカのチンパージの研究者で、
    結婚とほぼ同時に夫を追いかけてアフリカへ。
    出産は日本でしたものの、生後7ヶ月で娘を連れてすぐにアフリカに戻る。
    マラリアやライオンの恐怖などのエピソードはあるものの、
    自然の豊かさと、伝統的で平和な暮らしが綴られる。
    ただし、この後本格化する大干ばつと、
    政治の混乱から国や人々の暮らしが大きく変化していく最初の兆候も、
    遠景として、あるいは具体的に、
    彼女たちと密接な関わりがあったインド人やイギリス人のアフリカからの追放や撤退、
    そして、自分たちもウガンダを出て行かざるを得なくなる事実として描かれる。
    あまり切迫感がないのは、その頃から時間が経っているから、であろうか。
    なかで、たった5年のブランクで再訪したとき、
    あまりの変りように驚いた、という箇所に、
    (心の中で)マーカーを引いた。
    百年、千年、という長い時間を生き抜いてきたものも、
    5年で変ってしまう、ということ。
    思えばヨーロッパの中世だって同じことだ。
    千年で築いたものも、あっという間に失われてしまった。
    こういう事例は、歴史のかなにはいくつもある。
    かつての文明社会で、その文明をすこしも崩壊させずに後の世まで伝えた社会はない、
    と言ってもいい。
    人間の文明は決してゆるぎなく継続し、発展していくばかりではない。
    簡単に崩れ、後戻りしてしまうのだ、ということ。
    これはアフリカではまた違う様相を持つのだろうけれど。
    たとえば、まったく価値体系の異なる文明が流れ込んできた場合の、
    圧倒的な力、その暴力性、というものがある。
    とにかく、なんでも、壊れるのは早い、そして簡単だ、ということ。
    借りてきた本のタイトルだけでもメモしておくつもりで書き始めたのに、
    つい長くなってしまった。
    ・「マリ共和国花嫁日記」ケイタ・慎子・著(1980)/徳間書店
    わお、サリフ・ケイタと同じ姓? マリについての話は楽しみである。
    ・「踊るカメラマン」板垣真理子・著(1993)/晶文社
    写真集もあるのだろうか? 同時に見られたらいいのに。
    帯に、撮影のお礼は踊って返す、とあり、好印象。
    アフリカだけでなく、ブラジルと中国を歩いた記録も。
    ・「アフリカ、泥の視点」荻野洋子・著(1987)/立風書房
    女一人、モロッコ~ケニア17,000キロの旅 だそうである。
    表紙カバー裏の引用より
    「アフリカを歩いて、私は疲れた。それは気候のせいでも食べ物のせいでも、タクシーや宿がひどいからでもない。かれらは悪くない。ドライすぎて、単純明快すぎて、強烈すぎて、私には性に合わない。だから疲れてしまう。
    アフリカの人々はドライで強烈、単純。日本人の私はウェットで複雑–やわな私はドライな熱風で水分を奪い去られたらしい」
    裏表紙カバー裏にはこうある。
    「アフリカの人は感受性が乏しい。感じない、動じない、傷つかない、悩まない、哀しまない。感傷などというものとは無縁だ。
    そこにあるものが見たとおりそのままにしか見えないようだ。具体的な物事しか目に入らず、理解できず、それがすべてを支配する。
    目に見えることだけが思考の対象で、気持ちを察するとか、抽象的なことを考えるということがないらしい」
    う~ん、「アフリカの光りと風と」の鈴木さんはどう言うだろうか?
    同じ意見だろうか?
    そのあたりを考えながら読むことになるだろう。

  3. Captcha 機能追加

    急にスパムコメントが増えてきたんで、随分前に断念したことに再トライ。
    試行錯誤、調べまくり、サーバーヘルプにも問合せ、
    おかげでなんとか Captcha 機能が使えるようになった。
    詳細ははぶくけど、このサーバーがちょっとくせがあるんだよね。
    ほぼこれだろうという原因がわかって、
    でも最後のところで自信がなくてヘルプにメールで問合せ。
    今回は返事がすぐきて、なんと(勝手に)cgiファイルを修正しました、
    とのこと。
    なのに管理画面アクセスからして cgi エラー。
    この原因をつきとめるためにまた調べてるうちに、ふと、
    修正箇所の途中に全角スペースが入っているのに気付いた。
    それを削除で解決。
    ありがたさは半分になっちゃったけど、終わりよければ全てよし。

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