Mensile1107_2 – 「民間力」vs「日本の”病理”」~放射能の世紀

posted in: 月誌 | 0 | 2011/7/25

先日記事を書いた後、気持ちがこちら側に止まっている。
昨夜久しぶりにビデオニュース・ドットコムを覗いた。

毎週金曜日に更新される”マル激トーク・オン・ディマンド”は、ゲストが吉原毅氏。
残念ながら有料視聴だが、概要は以下にある。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/001987.php

吉原氏は、福島の事故後、4月1日という早い時期に、
一企業が脱原発宣言をしたというので大変話題になった、
あの城南信用金庫の理事である。

わたしも”NVAERまとめ”や、あちこちで紹介したけれど、
そのときのビデオメッセージも非常に明晰冷静で、かつ力強いものだった。

神保さんと宮台さんとのトークを聴いて、あらためて、
素晴らしい企業人であることが、
そのまま素晴らしい人間であることだという、
本来はあたりまえであるべき最高の例を見たと思った。

今回のトークは、会費を払っても聴く価値がある。
何故なら、企業活動と社会貢献を軸に語られる経営理念・哲学は、
そのまま万人の労働理念であり、哲学であるからだ。

吉原氏は、三代目理事長の故・小原鐡五郎の教えである社是、
「裾野金融」「貸すも親切、貸さぬも親切」「カードは麻薬」などの「小原鐡学」を、
東西の近・現代の思想・学論・知の集積を縦横無尽にクロスさせながら展開する。
クールで、ホットなトークだった。

宮台真司が、こういうことを学者やジャーナリストではなく、企業人が語り、
企業活動として行うことの重要性、影響力の大きさを高く評価していたけれど、
同感である。

私の前記事のコメントに、
「政治力より民間力なのでしょうかねぇ・・・」というのがあった。
ビデオニュース・ドットコムというネットメディアも、
神保哲生などのフリージャーナリストも、宮台真司のような学者も、「民間力」である。
吉原氏の企業活動はそのような「民間力」を、さらに、
具体的で日常的な暮らしに結びつけている「民間力」、
頭がしっかりとからだを動かしている「民間力」だ。

何故あとに続く企業が出てこないのかについての二つの答えが、胸に残った。

ひとつは、自然エネルギー優遇融資のような商品は、
他行でも発売されるようになった、というもの。
そこに、たとえば販売リーフレットに、
城南信金のように脱原発という明確なメッセージはないけれど、
やはり同様のメッセージは込められていると思う、とのこと。

(ちなみに城南のリーフレットは、冒頭に大きく脱原発のメッセージを掲げ、
商品説明・販促の目的だけでなく、営業活動時に、
リーフレットを素材にして脱原発の啓発を行うことも目的としている。)

これは希望を感じさせる動きだが、
もうひとつは、私もずっと感じている大きな懸念を指摘するものだった。
サイトの概要から引く。

吉原氏は、表では勇ましく原発推進を謳っている企業や企業人も、個人レベルでは原発が危険であることは十分にわかっているし、おそらく、できることなら原発はやめたいと思っているにちがいないと言う。しかし、大企業ほど地域独占の電力会社との関係は深く、株式や電力債などを通じた実利面でも、多くの企業が電力とは強い利害関係で結びついている。個人的な思いはあっても、経済的、心理的にそう簡単には原発から抜け出せない構造になっているというのだ。

原発は、政・官・産・学・法・報、そして地域コミュニティーを、
巨大な利権集団ネットワークとして、複雑に、がんじがらめに組み上げてきた。
この構造がどこまで明らかにされ、ほぐされていくのか。
これだけの利権構造が、
「目先の利益を追い求めるものは、最後には大きな損をする」という小原哲学に、
どのようにしたら到達できるのか。

あちこち見ていたら、2002年の石井紘基議員刺殺事件に引っかかった。

国会で日本の利権・癒着政治を追求していた議員が、
数日後の国会質問を控えて刺殺され、質問用の資料と手帳が消えた。
翌日犯人が出頭。金銭的トラブルだと供述する。
裁判では犯行の動機が明らかにされないまま、
無期懲役の判決となる。その7年後、犯人は、
「これは政治の裏側の問題で、頼まれてやった」と語るようになる。
だが、誰に頼まれたかは、黙したままだ。
http://youtu.be/XZvKh4J9vig
http://youtu.be/Dz5FIXVXRvk

今年5月、原口一博議員はTwitterで、石井議員が追いかけていたものに、
エネルギー利権もあったことを記している。
http://twitter.com/#!/kharaguchi/status/74616286386196480

事件直後のフジテレビのドキュメントも見た。

石井議員は70年代の初め、ソ連留学を通して、
理想を抱いて渡った超大国の”病理”を見る。
「あの国はもうすぐ崩壊する」と周囲に語る。
同時に、「日本はソ連とよく似ている」と、日本の”病理”を嘆く。
政治家としての彼の一連の追及は、その”病理”に対してなされた。

「日本は原発独裁国家だった」と私は以前書いたけれど、
「独裁」が一部の利権集団の癒着と、それを守る圧倒的な力で硬直するとき、
イデオロギーも、体制の違いも関係はない。
正統性も合理性もないことを、手段を選ばずに強引に力でねじ伏せていこうとする。
このことは、鎌田慧の『原発列島を行く』を読むとよくわかる。
九電のやらせメールも、この流れの中にある。

 

ビデオニュース・ドットコムの、ニュース・コメンタリーのほうは無料配信されているので、
強く視聴をおすすめする。
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/001988.php

ECRR(欧州放射線リスク委員会)代表のバスビー博士が
福島県内を調査したレポートは衝撃的だ。

7/20日のバズビー氏の記者会見も、Ustreamにあがっている。
http://www.ustream.tv/recorded/16118454

文字に起こしたものもある。
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/2919162.html
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/2919175.html

博士のレポートや記者会見は、(まだ)マスコミで報道されていない。

博士の指摘は、放射線の安全基準をICRPに従っている政府には、
できれば見たくない、聞きたくないものだろう。
いや、私とてそれは同じだ。

けれども、事故から4ヶ月以上たって出てきた稲わらや牛肉の汚染を考えると、
博士の警告を無視するわけにはいかない。
これらの汚染は、事故直後、
必要以上に事故を小さく見せようとした政府の責任だと、私は思っている。

農家は、100キロも離れているから、まさか汚染などないと信じた。
政府の安全強調アナウンスを信じた。
だれもが放射能の恐ろしさを、甘く見た。
ビデオニュース・ドットコムの、「敢えて最悪の事態を考える」には、
恐怖心を煽るのか! というクレームもかなり寄せられたと言う。
けれども、もし適切に、(あるいは過大に)危険性が周知徹底されていたら、
農民が汚染を「恐怖」し、今回の汚染はなかったかもしれない。
個別の指導や指示よりも、もっと大事なメッセージを、
政府は出すことができたのだ。

 

汚染や被曝に関しては、これまであまり触れないできた。
事故直後の被曝は過ぎてしまったし、
長期のものはまだ過度である。
風評被害は無いに越したことはないけれど、
避けられる内部被曝は最大限避けたほうがいい。
もちろん子どもを最優先にして。

悲しいことだし、恐ろしいことだけれど、
これから私たちは、長い原発の時間、放射能(汚染)の世紀を、
生きなければならないのだから。

 

(追記/7.31)

バズビー博士を招いた「ふくしま集団疎開裁判の会」の訴えは、
子どもの安全を最優先に考えた、痛切な親の「覚悟」だ。
が、彼らの「覚悟」は、決して福島だけのものではないだろうと、私は思う。

ふくしま集団疎開裁判

 

(追記/8.1)

放射線被曝に関する二つの指標については以下を参照。

ICRPとECRRそれぞれの勧告について:専門家コメント

ICRP基準ですら厳しすぎるという人もいる。
そういう人たちにとっては、
「ふくしま集団疎開裁判」は根拠の無い過剰反応であり、
「ただのエゴじゃないの」ということになる。
持ち出されるのは、(お約束のように)自然放射線や、胸部レントゲン検査。

ある専門家の発表がYoutubeにあった。事故一週間後のものも、
一ヵ月後に被災地の放射線量を計測して回った結果報告でも、
福島は安全である、と言い切っていた。

思うのは、言い切ることの危険性である。

イタリアで2009年に地震があった。
ラクイラという中部の古い街で、石造りの建物が大きな被害を被った。
今も2万人が仮設住宅住まいと聞く。

本震の前、微弱な地震が続き、住民が不安を感じていた時、
専門家が安全宣言を出した。
その地震学者達を訴える裁判が9月から始まる。
問題とされているのは地震予知能力ではなく、
わからないことをわからないと言う、科学者の謙虚さと誠意なのだと思う。

まして私たちは、高度に専門的なことを、なかなか理解できない。
が、理解できないことも判断しなければならない。
その最たるものが原子力であり、放射能である。

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