Mensile 141001 「哀しい社会」「哀しい関係」

posted in: 月誌 | 0 | 2014/10/1

北原みのりさんの『さよなら韓流』の感想を書いていたら、
最後には、韓流と嫌韓はいずれも「関係に対する渇望」から発している、
日本の「哀しい」社会ゆえのものである、
というような結論になってしまった。
しかし、愛情と憎悪が同根であるというのはよくあることである。

電話で友人とそんな話をしていて、でも個別に見ると、「哀しい夫婦関係」の人ばかりじゃないよね、けっこう夫婦仲いい人もいるよね、という話になった。確かに、北原・上野両氏の一致する「哀しい夫婦関係」というのは、ちょっと乱暴なくくりではある。でも、この社会や関係の「哀しさ」は、身近な実感としては頑としてある。

その流れで、久しぶりに、制度としての結婚について考えた。一夫一婦制は人間本性的には無理があるもので、かなり昔のことだけれど、フランス人が、「4年も夫婦をやっていれば別れたくなるほうが自然だ」というようなことを言っているのを聞いて、さすが性愛文化の成熟した国だわ、と関心したことがあった。

近代恋愛、近代家族、という言葉がある。恋愛も、そのゴールとしての夫と妻と子供が核となる家族像も、いずれもヨーロッパ近代になって生まれたもので、日本に入ってきたのも近代である。けれども、日本の家族制度も、近代家族と合体して生き延びてきた。今になって女性の活用などと言い出しているけれど、それが真に女性の社会経済的自立を目指すものであるのなら、日本的なセーフティーネットとしての結婚という側面を見直す必要がある。

結婚は多重にセーフティーネットである。まず国家にとって無償の社会保障の担い手の確保という意味で、次に企業にとって安価な労働力の供給と調整システムの一環として、最後に女性にとって経済的安定を得られる点において。

国家企業にとって必要な結婚制度維持のためのご褒美のひとつが、第3号被保険者の優遇であった。これは、サラリーマンの妻の(給与)収入が一定以下の場合、妻の年金負担を免除するもので、サラリーマン家族単位では有利な制度である。だが、女性賃金の抑制と、就労機会の限定において、女性個人にとっては非常な不利益となるものだ。配偶者がサラリーマン以外の女性や非婚女性、あるいは第3号でも制限額を超えて働く女性は、優遇を受けられない不平等と、この制度の帰結でもある女性全体の労働現場における不平等の二つの不平等を被るもので、これまで多くの批判があり、見直しの動きもある。

だがこの社会は、女性が誰でも普通に働けて、その賃金で一人でもまともに暮らしていけるような社会になるどころか、あいかわらず、結婚や家族という単位で支えあってようやく生ていけるという社会のままである。

友人女性たちの顔が思い浮かぶ。皆中高年の年齢に達した。離婚してアパートに一人暮らしの友人がいる。一方で、離婚に踏み切れない友人もいる。結婚というくびきから自由になれた友人は教師だったので、定年後も安定した年金収入がある。踏み切れない友人のためらいの理由には、経済的な問題が大きい。もし私たち女性の経済的自立がもっとたやすかったら、「哀しい夫婦関係」も少なくなるような気がする。「哀しい関係」の背後には「哀しい社会」がある。

独身のまま証券会社で働き通し、親から頭金を援助してもらいマンションを購入した友人がいる。けれども、お見合い話もあったのに結婚にふみ切れず、パート収入だけで年金暮らしの老親に寄生している友人もいる。前者は定年後も安泰だろうけれど、後者は直前に迫った親の死と自身の高齢化で、一気に経済的に困窮するのが目に見えている。結婚というセーフティーネットを持たず、にもかかわらず正規雇用からも生涯はずされてきた彼女は、結婚を制度維持に組み込んだ社会の、クレバスのようなところで生きている。

「けっこう夫婦仲のいい人」を思い浮かべてみる。が、数で言うと、知り合いには案外少ない。これは、目に見える姿かたちで「いい夫婦だよね」と思える人に限るので、言動からまず連れ合いの姿が浮かばないことには判断のしようがない、ということもある。けれども、あきらめの末に「それなりに安定した関係」に至った夫婦はけっこう多くて、これが日本の夫婦のスタンダードのようにも思える。これを「夫婦仲のいい人」にカウントすれば、その数はぐんと増える。だが個人的にはもう一つ基準があって、つまり、妻が自分の好き勝手をどれだけできているか。低依存高自立というバロメーターは経済だけのものではなくて。

しかし、結婚はずっとセーフティーネットととして機能していくのだろうか。少子化対策の一環として、教育の場で結婚は良いものだと教えようという動きがある。あほくさ、と思った。結婚がどういうものであるかを、子供たちは自分の両親の姿から学ぶ。目の前に、教科書など足下に及ばないモデルがいるのである。私には同年代に、男女を問わず非婚の友人が多い。結婚が良きものでもないという認識は、すでにこの年代からある程度定着してあるのである。

少子化対策にいくら結婚推奨策や子育て支援を盛り込んでも、そんな対処療法では結婚も出産も増えないような気がする。だいたい少子化が言われだしてからもう四半世紀以上たっているのである。制度としての結婚に捉われずに、子育てを社会が保護応援する方針に転換したフランスが出生率の増加に転じたのも、確か20以上前のことだ。学校で結婚は良いものと教えようという日本は、このフランス方針とは逆のことをやろうとしているわけで、これではますます社会と(男女・夫婦)関係の哀しさが深まるだけのようにも思う。さらにこの先、格差社会の広がりが予想されている。このことが制度としての結婚にどのような影響を与えていくのか。

などと、韓流の興亡を入り口にとりとめものないことをあれこれ考えていて、気が付けば10月であった。

 

コメントする