「カラバッジョ 天才画家の光りと影」アンジェロ・ロンゴーニ

posted in: 映画NOTE | 1 | 2010/4/24

好きな画家の生涯を描いた映画なので、楽しみにしていた。
と言っても、カラバッジョの生涯がどのようなものであったのか多少は知っていたので、
内容が重く結末が暗いものであるのは予想していた。

最初から最後まで彼につきまとうのは、黒い馬に乗り、黒い甲冑をつけた「死」である。
あの時代、確かに「死」は、彼のような資質と運命を 持った人間にとってだけでなく、
誰にとっても身近なものであっただろう。
マラリアやペストでころりと死んでしまう人たち、川辺に打ち上げ られた溺死体、
街角で日常的に行われる公開処刑、
ささいなことで繰り広げられるケンカでは、簡単に剣が抜かれる。

映画では、カラバッジョが犯した殺人事件を、かなり好意的に描いている。
引き金は愛するレナに加えられた危害だが、
それ以前に街のごろつきたちや画家仲間との確執があり、
彼の怒りの底には、女性や弱者に対する侮辱や反感、差別に対する正義感があったと。
確かに、娼婦をモデルに聖母を描き、
ひざまずく農民の、泥に汚れた足を大胆に描いた画家の反骨精神からも、
すんなり頷ける解釈ではある。

が、実際に伝えられているのは、球技にからんで4対4のケンカになり、
一人を刺し殺してしまった、いうだけのものだ。
彼の「無頼」が、現代の私たちに理解しやすいものに薄められてしまったと感じるのは、
私だけだろうか。
もちろん、映画が残された史実に忠実である必要はないんだけれど。

当事のイタリア半島では、ドイツ・スペインやフランスの侵攻により、
フィレンツェ、ジェノバ、ヴェネツィア以外の小国は、これらの国の支配下に置かれていた。
映画では教皇の勢力争いでさらりと触れられているだけだが、
ローマを中心とする中部教皇領も、ひとつの国家として、
大国や、隣接する都市国家同士の緊張関係と無縁ではなかった。

また、ローマは、反宗教改革運動や異端審問を繰り広げてい たカトリックの、
中心となる都市でもあった。
コペルニクスを擁護した修道僧、ジョルダーノ・ブルーノの火刑シーンが出てくる。
ガリレオが星の観察で地動説を補強するのは、この少しあとのことだ。
時代は、一方ではルネッサンスの繁栄と輝きを失いつつあり、
他方では、 カトリックに集積した富と知のなかから、
硬直した思想や規範を打ち破り、新たな科学や表現を生み出そうともしていた。

この映画の魅力の一つに、普段は教会の薄暗い照明のなかで、
目を凝らして見るしかないカラバッジョの一連の作品を、
大きなスクリーンでじっくりと見られることがある。
なかでも「聖マタイの召命」を描き終えた画家が、疲れ果てて絵の前で寝てしまい、
朝目覚めたときのシーンは美しかった。
画家がふと視線を絵に向ける、と、窓から差し込む光りが、
そのまま絵の中の光りと重なっている。
光りと闇が劇的に拮抗する彼の絵が、唯一ここでは、柔らかく交じり合う光りに包まれている。
撮影監督ヴィットリオ・ストラーロの、この絵に対する思いいれがうかがえるシーンだ。

し かしローマでは、400年前がついこの間のことのように思えるのが嬉しい。
カラバッジョを庇護するデル・モンテ枢機卿の館では、カステル・サンタ ンジェロを思い出した
(サンタンジェロは、映画の背景でも登場する)。
実際の居館はマダーマ宮(現在は上院)と伝えられているが、
撮影はファルネーゼ宮(現フランス大使館)で行われたようだ。
ファルネーゼ宮はなかなか中に入るのが難しいので、その意味でも貴重な映像かもしれない。

それらリアルな400年前の空気の中で、あらためて、カラバッジョの先駆性を思う。
壁も天井も、美しいフレスコ画で飾られた宮殿に迎えられ、
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会に描いた聖マタイの祭壇画で名声を勝ち取り、
カラバッジョは間違いなく成功への道半ばにいた。

だが彼は弟子をとらず、工房を構えなかった。
権力をもつ教会や聖職者におもねることをしなかった。
そして娼婦と農民と市井の人々をモデルにしつづける。
そのことが、彼が生きた時代にあっては賛否両論を招いたが、
同時にそのことが、後代の彼の大きな評価につながった。
クールベやミレーの登場より200年以上前のことである。

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