「アラブの大富豪」–オイルマネーから見たアラブ

posted in: 読書NOTE | 0 | 2008/4/25

先日久しぶりに会った友人と、最近面白い本を読んだかという定番の会話をしたおりのこと。彼が、今読んでいるの結構面白いよと取り出したのがこの本。
翌日イタリアに出かける私に、飛行機の中ででも読んでよと、彼は読みかけのこの本をプレゼントしてくれた。
こんな形でもなければまず手に取ることのない類の本だが、たまには自分の偏った読書傾向からはずれた本を読むのもよい。結局行きの飛行機の中で開いたら、到着までに読んでしまった。
しかしなんというタイトルだろう。これをわかりやすいと言うか、扇情的と言うか。
それはさておき、

”アラブの大富豪”と聞いて思い出すエピソードがある。昔のクイズ番組の問題だった。
—アラブの大富豪がロールスロイスを買ったが、わずか三日乗っただけで買い換えた。それはなぜか。
(1)タイヤがパンクしたから
(2)ガソリンがなくなったから
(3)灰皿が一杯になったから
正解は(3)だが、(1)も(2)も同列の答えで、これにより設問全体の印象がいっそう強まっている。

日本の私たちにとって”アラブの大富豪”は、こんなふうな荒唐無稽なイメージで、戯画化してしまうのが受け入れやすい。
けれども、想像力の及ばない人々ではあっても、生まれたときから石油があり、石油製品に囲まれて暮らす時代に生きる私には、”アラブの大富豪”はすでにずっと昔から大富豪であったような気がしていた。何より国王や王族という呼び名は彼らの長い富の歴史をも象徴しているように思えたのだ。

だがその印象は、この本を読んできれいに消えた。
砂漠のベドウィンの族長がいくつかの部族を束ね、国家統一を果たした直後に油田がみつかったサウジアラビアや、部族の連邦制をとるアラブ首長国連邦(UAE)など、彼らの富の歴史はこの百年程と驚くほど浅い。

一方イスラム教の始祖モハメッドの子孫という、由緒ある一族が国を治めるヨルダンは、石油がないために王族と言えども大富豪にはなりえない。ヨルダンは、油田のある国とない国との不均衡が引き起こす問題の調停役として生き延びてきた。

石油開発会社のビジネスマンとして30年間に渡り中東と関わってきた筆者は、たんねんに各国の大富豪を紹介してくれるが、その紹介がそのまま、その国の経済や政治の様相を解き明かすことになる。そこから国全体に目をむけたときに浮かび上がるのは、オイルマネーを一部の王族が独占し、さらに御用商人が莫大な財を築く富のピラミッドの裾野で、かの国々の庶民もやはり豊かであるということである。

ちなみに2005年の国民一人当たりのGDPが、日本36,000ドル、アメリカ42,000ドル、UAE32,000ドル、カタール57,000ドルである。
単純な数字の比較だけでも相当豊かであることがわかるが、産油国の彼らに税金はなし、教育費は無料だ。
更にこの数字から出稼ぎの外国人労働者のGDPを引いて純粋に国民一人あたりに試算すると、UAE140,000ドル、カタール170,000ドルになるという。

この経済的な豊かさが、国の政治的な安定と平和を支えているのは間違いない。(石油をめぐって)紛争の絶えない地域の中にはあるものの、もしかしらたこれらの国の人々は日本とは比べ物にならないほど将来に対する不安とも無縁に、日々の暮らしに追われることなども知らず、人生を謳歌しているのかもしれない。
(もちろん、恵まれすぎた国に生まれた若者のモチベーションの低さや、出稼ぎ労働など移民に頼る労働現場の問題、天然資源の枯渇を見据え人的資源をいかに育てるかなど、いくつか課題はあるにしても。)

なるほどとひざを打ったのは、政治のトップである国王や王族のリベートについての話だ。日本や西欧社会では賄賂になるケースも、彼らにとっては当然の手数料なのだと言う。
イギリスからの武器の輸入に絡んで、イギリスのマスコミが暴露した汚職事件のことが紹介されているが、王族は国民に選ばれて政治を行っているわけではないし、彼らが懐に入れる金の出所は石油であって国民の税金ではないので、何の問題にもならないのだと。

このように王権という強力で独裁的な政治体制を、アメリカを筆頭に西欧社会は民主的でないと非難してきたけれど、彼らもようやく最近になって、そんな単細胞的な論調は的外れだとわかってきたらしい(それは日本も同じだが)。
その国にはその国の歴史があり、その国にふさわしい政治体制があるのだということは、これからの世界の平和のために踏まえておくべきことのひとつだろう。

その意味で、同じ石油国であるイラクの不幸を、大富豪の国と対比させてもっと語って欲しかったが、4本抱えているという筆者のブログには記載されているのかもしれない。

しかし最後に思う。もし石油がアラブでなくどこか他の地域にあったのなら、世界はどうなっていたのだろうか。

◆『アラブの大富豪』前田高行(新潮新書/2008年2月)

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今日の朝日新聞にサウジアラビアの記事があった。
人口2400万人のうち600万人が外国人労働者で、公的機関以外の大半の労働力は彼らに負っている。原油高と高度成長により人口が増加し、その結果若年失業率は10%(20%の推計もあり)を超え、政府は「労働力のサウジ人化政策」をとるようになった。その労働力育成のために日本が自動車技術研修所を設け、4年で750人が卒業したという。

脱エネルギー化を模索するサウジは、三億人を超すアラビア語圏市場の玄関であり、日本が技術協力で緊密な関係を築くことは大きなビジネスチャンスに繋がる、ただしどこまで日本がアラブの社会に本気で踏み込むかが問われている、と記事は締めくくられていた。

しかしやはり気になったのは、失業率の高さから来る若者層の政府への不満が、過激な宗教活動やアフガン・イラクのジハードへの参加に結びつきかねない、という指摘だ。
彼らは本当に、仕事がないことに怒り、それだけの理由で過激派への道を突き進むのだろうか。
オイルマネーの再配分に満足し、高いGDPを誇る国民と、失業に不満を募らせる国民との間には何かが抜け落ちているような気もする。

石油はまるでうちでの小槌のように急激に富を形成し、一部の強権を持つ国王や能力あるエリートによって経済と政治は安定しているかに見える。だがその安定は、砂に水が染み込むように石油が消えてしまえば、瞬く間に失われてしまう。

石油埋蔵量の利用率は現在20%ほどで、技術の進歩により利用率が高まるのだから枯渇など考える必要はないという意見もあるようだ。だが自分たちの繁栄がたまたま地下に眠っていた資源だけに支えられているというのは、やはりどこかで国民の精神を脆弱にし、不明瞭な不安から極端な行動に傾くものなのかもしれない。そこに宗教と、宗教を隠れ蓑にした持たざる国の過激分子に付け込まれるスキがあるとしたら…。

大富豪の姿は、私にはどうしても蜃気楼のようなおぼろなイメージしか結ばない。彼らがオイルマネーを元手に更に富を拡大再生産し、使いきれないほどに蓄積しているとしても、世界のビジネス界に深く入り込み、多くのブランドを買収していても、ドバイのように町全体をディズニーランド化することによって、わかりやすくその力を示してくれても、どこかにはかなさを感じてしまう。

彼らが手にしたものが富ではあることは確かだ。だが富が必ずしも価値を生むとは限らない。灰皿が一杯になったために砂漠に捨てられた高級車の姿は富の象徴ではあるが、価値の象徴ではないだろう。それとも富とはいつもそのようなものなのだろうか。

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